『なぜ君は総理大臣になれないのか』['20]
監督 大島新

 当地でも既に『香川1区』の上映を終えた今になって本作を観る気になったのは、紆余曲折を経て立憲民主党の政調会長に就任していた小川淳也議員が、政調会長辞任の表明をしたからだったのだが、よもや2003年の選挙時からの足跡を追っている作品だとは思いがけず、なかなか興味深く観た。

 東大卒で自治省入省したエリート官僚が総務省を辞めて政界に転身したのは、安倍政権下で内閣人事局が設置された2014年以降にとりわけ顕著になった“官僚離れ”以前の2003年だった。当時の彼の弁によれば、省庁ヒエラルキーのなかでOB官僚による旧態然とした組織論理に基づく省庁秩序及び文化の維持が最優先の体質を見限って、政策を本旨とした政治の力で官僚組織を変えることによって日本に必要な変革を図りたいとの思いからだったようだ。だが、小川淳也議員が大臣などお飾りだったと明言していた“政よりも官が強固だった時代”も今は昔の話で、本作のなかでも安倍政権下で、若手官僚においてさえ「正しさよりも政権にとっての都合の良さばかり求める」ようになったという後輩官僚の荒廃ぶりを小川議員は嘆いていた。官僚組織をよく知る者の言葉だけに、前人未到の長期政権が腐敗させたものの底なしぶりには半端ないものがあるように思った。

 それはともかく、民主から民進、希望の党から無所属を経て、今は立憲民主党に至る彼の選挙活動を観ながら、改めて十五年前に観た選挙』(監督 想田和弘)の映画日誌に記した政治にまつわるもので最も改革が必要なのは、何よりもこの選挙スタイルそのものだという気がするとの思いを強くした。

 中央官庁に身を置いて感じた限界から政界に転じたものの、省利省略が党利党略に転じただけで政策優位など名ばかりですらなさそうな政の現実に喘ぎながら、きっと、こんなはずではなかったとの思いを重ねていそうな小川家の人々の心情が透けて見えるような気がした。当選回数は多くても選挙区選挙で勝たなければ、比例復活では発言力がない、野党であっても党役員でないと一議員では発言を認めてもらえないといった現実に、人生の七割二割一割をどの順番だったか、忍耐、我慢、辛抱だと言っていた。

 政界に転じたときに五十歳で辞めると言っていた“政治家”であるために、五十のこの歳になってまだこんなことをやってるんですよねと言いながら、「本人」と大書した幟旗を立てた自転車を漕いでいたのは、本作ではなく、予告映像として添えられていた『香川一区』のほうだったかもしれないが、何とも言えない気持ちになってしまった。

 だが、小川議員と違って、政権与党の政調会長のほうは、旧統一教会との関係問題が事ここに至っても辞任などしそうになく、まさに絵に描いたような対照ぶりに恐れ入っていたら、あろうことか本作で激戦を繰り返していた小川議員の選挙区選挙での常勝者が、急展開を見せ始めた五輪・電通疑惑のなかで抜き差しならない事態を迎えそうだという話が聞こえて来始めた。加えて、本作で小川議員がしきりに繰り返していた選挙区選挙での勝利の重みなど、どこ吹く風と言わんばかりの改造内閣下での総務省政務官人事が取り沙汰され始め、本作で小川議員が「忍耐、我慢、辛抱」と語っていた政界二十年で学んだことというのはいったい何だったのだろうと、何だか気の毒になってきた。

 大島監督が洩らしていた「彼は政治家に向いていない」との思いは、本作を観た誰もが感じることのような気がするが、問題なのは、彼が向いてないと思われてしまうような政界の有様のほうなのだ。そして、それを変え、正せるのは有権者のほかにはないという現実が一番の問題だという気がしてならなかった。
by ヤマ

'22.8.17. 日本映画専門チャンネル録画



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