『さよならテレビ』['20]
監督 圡方宏史

 企画書に「テレビの今(仮題)」と記したテーマの元、東海テレビのディレクターが自社の報道部を撮ったドキュメンタリーの劇場公開版は、一昨年、高知でも上映されたのだが、コロナ禍による観賞規制に伴い見送っていた宿題映画だ。タブーに踏み込んだというような宣伝がされていた記憶のある作品なのだが、もっと生々しく踏み込んだ場面があるのかと思ったら、そうでもなかった。

 幕開けに、普段は専ら取材する側であるテレビマンたちが、される側に回って洩らす取材するなら合意の上でだとか勝手に取材対象にされているなどといった、どの口が言う的なショットが現われて呆れてしまったが、本編にて主にカメラを向けられていた三人が、局内でも普段からカメラを向けられている社員キャスターと、五十歳になるというベテラン記者の契約社員、そして「藤田嗣治」に(ふじたふぐはる)とルビを振ってデスクに原稿を送り叱られていた、いかにも不器用そうな若い派遣社員だったりするところに、今のテレビの限界が如実に表れているような気がした。

 本編後に添えられた監督インタビューで、圡方は、セシウム事件の福島キャスターは、最初から外せない取材対象として想定していたが、後の二人は、撮っているなかで、キャラ的に立っていて面白い人物を取り上げたというようなことを語っていた。自社社員は撮らせてくれなかったのだとしても、カメラを向けるに足る興味深い人物に自社社員が見当たらなかったのだとしても、いずれにせよ、そのことそのものが今のテレビの貧困を物語っているような気がした。

 報道的スタンスと問題意識から撮ったというよりも、情報バラエティ的な観点から、面白いと思ってもらえそうな対象を意識したという監督の弁が、どうにも言い訳がましく聞こえてきて仕方のなかった添え物インタビューだった。そして、それらの総体が図らずも「テレビの今」を映し出しているような気はした。

 それにしても、テレビの業界人が「テレビの今」の名のもとに撮った作品で掲げられていた言葉が弱さの持つ力って何だろというものになっていることに、かつてパワフルメディアの筆頭だった時代からの隔世の感を覚えずにいられなかった。作り手がそういう意図で掲げていたものとは限らない感じを受けつつも、観る側のほうでそのように感じてしまう現実が“テレビの今”にはあるような気がする。
by ヤマ

'22. 4.23. 日本映画専門チャンネル録画



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