『鈴木家の嘘』['19]
監督・脚本 野尻克己

 三年ぶりの再見になる。前回観たときも心打たれるものがあったけれども、改めてよく考えられた脚本だったのだなと思った。観賞会の主宰者によると、脚本・監督を担った野尻克己は、兄を自死で亡くしているとのこと。随所に実感が籠っていたのも道理だと大いに得心した。撮影時の照明の具合か、再生機との相性か不明ながら、妙に画面が平板に感じられたのが残念だったが、話が進むにつれ、次第に気にならなくなってきたから、やはり大したものなのだろう。嘘やイカサマを全否定していない視座に改めて好感を覚えた。

 鈴木家の嘘を派手に暴き立てる役回りの北別府(宇野祥平)をどう観るか、一緒に観たメンバーに問い掛けたら、いろいろ話が拡がり、面白かった。自殺者遺族の会や、蝙蝠、ソープランド「男爵」の店長など、ちょっとしたところでの各人への映り方の違いが興味深く、面白かった。

 いささか唐突にも思えた北別府の暴き立てについては、話の運びとして彼が行わざるを得ないようなものではないだけに、却って作り手による意図的なものが感じられたわけだが、一つには、すっかり騙されている態の悠子(原日出子)を初めて目の当たりにして内々に抱えていた疚しさが、富美(木竜麻生)の切った口火で発火して、酔った勢いに任せて噴き出してしまうさまを提示することによって、人を欺き続けることの負担の重さを描いているような気がした。北別府は、浩一(加瀬亮)が亡くなっているとは思わないままに、“引き籠りの克服を遂げたという嘘”だけですら耐えかねていたわけだ。つまり他の鈴木家の人々が抱えていた嘘の重さとは比べ物にならないにもかかわらず、博(大森南朋)の結婚披露の祝宴の場をぶち壊す挙動に出るのだから、幸男(岸部一徳)や富美、博の抱えていた負担と疚しさは、如何ばかりかということになる。

 だが、そのことを描く以上に作り手が企図したのは、鈴木家の嘘の有体を悠子に明かす役回りを富美に負わせないことだったような気がする。富美にとって母による兄のバースデイケーキというのは、兄の引き籠りによって自分が蔑ろにされ続けてきた受傷のイコンであればこそ、叔父の結婚披露の祝宴には明らかに場違いな形で現れたばかりか、不在の兄に替わって蠟燭の火を吹き消すよう母から求められることへの憤りが噴出したわけだが、彼女には、そうならざるを得ない屈託が兄に対しても母に対してもあったとしても、それで一気に鈴木家の嘘の有体を彼女が曝け出すのでは、その憤りの激情に任せた行為になってしまい、“鈴木家の嘘”の持っていた核心部分が変質してしまうことになる。自身が口火を切りながらも、北別府による暴き立てを懸命になって押し留めようとする富美の姿を描きたかったのだろう。兄の死に対しても、母の記憶喪失に対しても、父の行状に対しても、強い屈託とアンビバレントな感情を抱いている富美こそは、脚本・監督を担った野尻が自身の抱えた屈託を投影した人物だったような気がする。

 だからこそ、富美が衝動に駆られて入水を図ることに対して、その屈託を悟った悠子が抱き締め、引き留める場面が大切になるのだし、イカサマ霊媒師を介して兄に詫びる場面が重要になるような気がする。兄のいない自殺者遺族の会での自己表白では得られようのないカタルシスを富美が得るうえでは、霊媒師がイカサマであるか否かは大した問題ではないということだ。彼女が兄への詫びを言葉にして口にできたことが大事なのだと思った。
by ヤマ

'22. 2.21. あいあいビル2F



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