『ブラック・ライダー』(Buck And The Preacher)['71]
『招かれざる客』(Guess Who's Coming To Dinner)['67]
監督 シドニー・ポワチエ
監督 スタンリー・クレイマー

 先に観た『ブラック・ライダー』には、これが、かのポワチエ初監督作品かと感じ入るとともに、冒頭に示されていたクレジットに感心した。解放令後、法的に保証されたはずの黒人奴隷の自由が依然として踏みにじられ、犠牲となった数多の名もなき人々のことを記し留めるための作品だと述べられていた。

 確かに本作でデュシェイ(キャメロン・ミッチェル)が言っていたように、解放令により農園労働への従事から大勢が離脱すると、農園経営は成り立たなくなる。そこまでは僕もかねてより了解していたところだったが、そのことにより、農園主たちの組合から請け負ったデュシェイたちが農園を離れた労働者を追ってきて南部の農園に帰れと繰り広げていたような暴虐が罷り通っていたのかと、いささか恐れ入った。ポワチエ演じる案内人バックの生業として成立するほど、南部から新天地の西部へと目指した解放奴隷が数多くいたということなのだろう。なにしろ隊列を組んでの大移動だった。

 最後には、黒人馬車隊への無法な襲撃を抑えようとした保安官を刺し殺してまで敢行しようとする南部人が現れるばかりか、彼の扇動により、保安官の指示だとの口実さえ得られれば、躊躇なく襲撃に向かう町の白人たちを描いていて痛烈だった。それとともに、同じく白人から迫害を受ける者同士としての先住民との微妙な距離感の描き方が目を惹いた。

 本作が制作された当時、公民権運動に対する先住民のスタンスは、どのようなものだったのだろうと、ふと思った。バックとは旧知の間柄であったと思しき、英語を解する族長夫人を介して交わされる先住民との約束に表れていた距離感が興味深く、否定せずとも連帯せずを基本スタンスとしていたような気がする。そのなかにあって、最後の最後には、当初の十名を遥かに超える討手に対し、たった二人で抗戦するバックとラザフォード(ハリー・ベラフォンテ)の苦境に対して助太刀の手を差し伸べた部分には、史実的なものというよりは公民権運動に係る作り手の願いと呼び掛けが込められていたような気がする。敢えて通訳夫人を配した運びにしてあった点に、そのようなことを思った。

 また、バックと牧師を自称する些か胡散臭いラザフォードとの関係の描き方も実に興味深かった。水浴中の無防備な状態のラザフォードの麗馬をほぼ強奪に近い形でバックが横取りする出会いから始まり、最後は生死の運命を共にする相棒関係に至るわけだが、黒人同士であっても易々と一枚岩になれるわけではなく、むしろ敵対する状況もあるようななかでの最終的な連帯を描いていたようにも映ってくる。ラザフォードのバックに対するすんなりとはいかない立ち位置をハリー・ベラフォンテが好演していたような気がする。なかなかの作品だ。


 その勢いに乗って程なくして観た『招かれざる客』は、ロマンティックな歌とともに始まるオープニングに、これが『招かれざる客』なの?と意表を突かれたが、想外の観応えがあって、いろいろな思いを触発された。

 ボクサー』を久しぶりに再見したときの日誌'90年代の『ジャングル・フィーバー』においてさえ、白人女性と黒人男性の恋愛を映画にしてタブーに触れたかのような宣伝がされていた覚えがあることからすれば、本作が最初ではなかったにしても、ジャックとエリー【エレノア】の昵懇のキスシーンが繰り返し登場する本作は、'70年という製作年次からすれば、けっこう果敢な演出だったのかもしれない。と記してあるが、それに先立つ'60年代の本作で開始早々に、三十七歳のドクター・プレンティスことジョン(シドニー・ポワチエ)と二十三歳のジョーイことジョアナ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)がタクシーの車中で抱き合ってキスをする場面は、当時、どのような反響を得たのだろうと思った。

 人種間のみならず、世代間、ジェンダー間におけるギャップを浮き彫りにして高い普遍性を宿しているとともに、身も蓋もないリアリズムと言うか、反知性主義とは画然とした“知性主義に立った人物造形”が清々しいまでに美しく、この時代のハリウッド作品らしい台詞の言葉に力に心打たれた。

 筋金入りのリベラリストと評され、当人も自負を抱いていたと思しき新聞社主である父親マット・ドレイトン(スペンサー・トレイシー)が私は最低だと呟いた後のハイライト場面での長口舌や、ジョンが父親に抗して息子の生き方を縛るなと訴える場面も観応えがあったが、ドレイトン夫妻・プレンティス夫妻共に、老妻の言葉がとても印象深く、とりわけクリスティーナ(キャサリン・ヘップバーン)の二度の涙目に感銘を受けた。

 最初の涙目は、若き日に夫が起業した新聞社を共に支え、リベラリストの夫に対して敬意も誇りも抱いて長年疑いもしなかったであろう彼女が決して見たくはなかった夫の醜態を目の当たりにして諫めていたときの哀しみの涙で、二度目は、娘と夫との間で引き裂かれるのを回避できた喜びを噛み締めている感謝の涙だったように思う。経営する画廊のマネージャー女性を馘首するときの手際の良さと気っ風にも惚れ惚れとした。僕が今までに観たキャサリン・ヘップバーンでは、本作が一番だと思った。

 マットが経歴を語らないはずだ、輝かし過ぎると呟いていたジョンの設定に対しては、批判的に観る人もいるようにも思うが、かほどの人物であっても尚という根深さを表すうえで、むしろ妥当だという気がした。

 人種差別問題といった観点から捉えられがちな作品なのかもしれないが、僕の眼を最も惹いたのは、ジョンの母親がマットに告げた歳をとるとなぜ男の人は忘れてしまうの?との問い掛けから始まる説得が、理に立ったライアン司教(セシル・ケラウェイ)やクリスティーナの諫言では、なかなか動かなかったマットの目を覚まさせていたことだった。

 また、新たな世界を切り開く牽引力は、天真爛漫なジョアナであれ、その母であれ、ジョンの母親であれ、女性の持っている力であることを半世紀以上前の作品で描くと同時に、最も頑迷な抵抗を見せるのが黒人家政婦のティリーであったりする描き方に大いに感心した。さすがアカデミー賞脚本賞を獲っただけのことはある映画だ。




『ブラック・ライダー』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/3917545928344961/

『招かれざる客』
推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/2551897244909843/
by ヤマ

'22. 8.28. BSプレミアム録画
'22. 9. 1. BSプレミアム録画



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