『エルヴィス』(Elvis)
監督 バズ・ラーマン

 '60年代のサイケとも、'80年代のバブリーとも違う、'70年代の仇花的ゴージャズをいかにもバズ・ラーマン作品に似つかわしい外連味たっぷりの装飾にして施したワーナーブラザーズのロゴが現われて笑ってしまった映画の運びは、やはり外連に満ちた見世物師に相応しいものだったように思う。はじめのうちは面白がって観ることが出来ていたが、次第に倦んでくるようなところがあった。盛り込みたい情報が多いせいでもあろうが、何やらごちゃごちゃしていたからで、少々鬱陶しかった。バズ・ラーマン作品では、溢れる外連と目まぐるしいまでの映像展開は同じでも、二十年前に観たムーラン・ルージュ['01]のほうが僕には好みだった。

 エルヴィスを演じたオースティン・バトラーは、そのステージアクションを含め、本当によく頑張って歌っていたように思うけれども、映画の最後に、エルヴィスが42歳で亡くなった1977年の本人による♪Unchained Melody♪が流れ、やはり声質が決定的に違っていると、エルヴィス独特の艶と柔らかみを湛えた声に改めて感心した。もう身体がボロボロになっていても、声質そのものには、最後まで“ギフト”が宿っていたように思う。

 それにしても、特別なギフトに恵まれて生まれた者の人生は、そのギフトの特別さに応じて過酷なものになるものなのだと改めて思った。人生いいとこ取りは、なかなか出来ないとしたものなのだろう。

 僕がエルヴィス・プレスリーを同時代的に観ているのは、十代の時分に公開時に観た『エルビス オン ステージ』['70]くらいで、当時は、歌なんぞろくに聴いてないように見える女性客がキャーキャー声援を挙げているのが不思議で仕方なかった覚えがある。一つ年上の従姉が「暑苦しいプレスリーやトム・ジョーンズよりもエンゲルベルト・フンパーデインクのほうがいい」と言っていたことを思い出した。当時のエルヴィスを観て、ステージアクションが人気らしいが、さほどかっこいいとも思えず、あの寝ぼけたようなまなざしの締まりのなさのどこがいいのだろうと思いつつ、バラードを歌うと、確かにいい声をしているなと思ったような気がする。好きにならずにいられないがお気に入りだった。もちろん本作でも一度ならず登場したが、最初はエルヴィスの歌唱ではない形で登場し、意表を突かれた。作り手側の企みに違いない。結果的に最も数多く作中で登場した曲だったように思うが、♪ハートブレイク・ホテル♪や♪ハウンド・ドッグ♪などと比べ、果たしてどうだったのだろう。

 本作で、ひたすらツァーを続けるしかなくなっていたエルヴィスの姿を観ながら、若き晩年は、ステージにしか居場所がなくなった彼の殆ど懲役のように感じていた。また、幼時に図らずも黒人街のなかの白人居住区で暮らすことを余儀なくされたことが持って生まれたギフトを開花させることに繋がっていたことを初めて知った。カントリーミュージックやロックの系統認識はあったけれども、R&Bやゴスペルのほうがむしろ重要な影響を与えていたとは知らずにいた。

 そして、彼の魅力の神髄は、かっこよさというよりもアイドル的魅力だったのかもしれないと思った。ジェームス・ディーンに憧れ、かっこつけていた青年のなかにある、どこか愛嬌のある素朴で素直な人の好さの感じられる人物造形が施されていたような気がする。そのあたりが脇の甘さにも繋がって、生涯に渡ってマネージメントを支配したトム・パーカー大佐(トム・ハンクス)にいいようにされていたのだろう。また、自家用機にその名を付けた愛娘リサ・マリーをもうけた妻プリシラ(オリヴィア・デヨング)の好意的な描き方が気に入った。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20220724
by ヤマ

'22. 7. 8. TOHOシネマズ8



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