『パワー・オブ・ザ・ドッグ』をめぐって
【FBコメント:ヒラリン牧師、カーリー理恵姐】

-------ヒラリン牧師のfacebook('22.4/22)で重ねた談義-------

(カーリー理恵姐)
 ヤマちゃんがフィルの邪悪も相当なもの、と言ってたけど、私には、フィルは大したことがないように思えた。
 フィルは雌馬に当たって、罵倒したり、布切れで叩いたりする程度のキレ方だったに対し、ピーターは足を怪我した野うさぎを撫でながら楽にしてやれのフィルの言葉に躊躇いなく、撫でていた手で首をコキリと折ったよね。それが難無く出来るピーターの邪悪は筋金入りというか大したものと思った。
 花や動物を愛でると同時に壊す事も出来る力ね。
 誰しも邪悪さは持っています。心に一匹の獣を飼っている、と中上健次も言い、煩悶し、邪悪を鎮めるために自制を働かす。時に抑え切れず行動に出してしまった時の苦悩は計り知れないと思う。
 躊躇わずに出来るのは、脳の機能によるもの、と中野信子の本でも読んだこともある。だから、普通の人の邪悪パワーとピーターのような邪悪パワーは何かが決定的に違い、フィルも及ばない種類のものなのかな、と、あの美しい瞳の輝きに震撼するのです。
 フィルの乱暴な態度は反抗ビヘイビアでしょう。1925年当時の米国東部の州ではホモセクシュアルは刑罰に値するものだったかも。高学歴の反動か身なりをカウボーイと同じにし、ブロンコと同じ匂いに身を置く。ピーターへの意地悪や部下への統率や両親との不和は邪悪というより反抗か繊細な感性の自分を守るための健気な抵抗に感じました。

ヤマ(管理人)
 >理恵姐、
 成程ね。邪悪の程度について各人の中に分け入る形で測れば、フィルとピートとの比較がそのように映るのは判らなくもないな。
 ただ邪悪を、本作の主題でもある「犬の力」が引き寄せ引き起こす状況という観点から眺めれば、フィルによるローズの酒浸りにしても、弟夫婦の結婚生活壊しにしても、ピートの覚醒にしても、相当なものではあるわけで、フィルが現れなければ、ローズ母子はつつましく食堂経営を続けてたのだろうからねぇ。
 詩篇に綴られた「犬の力」がどういうものなのかを僕は深くは知らないけれども、何となく、個人の中に潜む邪悪だけを指しているのではないようなイメージがあるんよね。
 ピートの発揮した“パワー・オブ・ザ・ドッグ”について何か非常に特異なものとして観る視点も確かにあるだろうし、むしろ大勢はそっちかもしれないけど、僕が本作で感銘を受けたのは、それを特異なものとしては捉えてなさそうな作り手の視座だったんよね。

 それはそうと、皆さんピーターと書くけど、あの映画のなかでは、ピートじゃなかったっけ?

(カーリー理恵姐)
 >ヤマちゃん、
 うん。邪悪が顔を出し、吹き出す悪縁をフィルが引き寄せたように思います。平和な世界を切り裂く、神様の悪戯のような契機自体に邪悪が宿る。間が悪いとか、魔がさしたという関係性があるよね。そうした関係性が邪悪と考えることも出来るね。
 邪悪のきっかけからの連鎖がピートが仕組んだ炭疽病でフィルの元に死(殺人)という形で収まった、という円環のような怖い物語。
 ただ、先に書いた脳科学者中野信子の「サイコパス」という本を読む限り、邪悪さを抑制せずに簡単に邪悪な行為をやり遂げる脳があるらしくピートはその部類の人に区別されるのかなとも思ったりしました。脳の機能の問題としてね。
 が、自分にないとは言えず、ここで成瀬の原題「細い線」の田代や田代の妻に見る、ある一線を越える時が、普通だと思い込んでいる自分にも訪れることもあるのかと感じたりもする。だから、細い一線を超えそうな状況を避けなくてはと、気をつけなきゃならない自分に慄くわね。
 ま、私は、新珠三千代でなく、小心者の小林桂樹の方に近いと思ってるけどね…😅
 ピーターが正式な名前で、ピートは愛称ではないですか。映画内で両方で呼んでいたように思ったけど。

(ヒラリン牧師)
 確かに、一見邪悪で意地の悪そうに見えるフィルの姿が強調されているように見えますが、実はピーターのしたたかなほどの執拗さも凄いと思います。だから、比較出来るものでなく、質の違いがあると思います。邪悪さであり、闇ですね。
 それ故、これまでのその人物の歩みや性格、そして受けて来た傷が影響するでしょう。フィルは親との関係やブロンコ・ヘンリーから受けた傷、それは本人が気づいているものもあれば気づかないものもあるでしょうね。
 ピーターについても同様で、僕は特に父との関係が大きいと思う。アルコール依存による、母への暴力と虐待、それだけでなく、彼自身も父から暴力を受けていたように思います。サイコパス脂質については、姐さんがおっしゃっるように、脳の脂質もあるでしょうね。

ヤマ(管理人)
>カーリー理恵姐、
 サイコパスについてはねぇ、僕は自分が、ピートよりも幼い小学低学年の時分に、父親を手伝って鶏を絞めて鶏スキにしたりしてたし、今だと間違いなく“猟奇的”といわれてしまいそうなことをトンボやカエルなどにして遊んでたから、ピートのやってた事々自体は、格別に特異なことだとは思わず、それらを禍々しく感じさせ見せるよう演出が施されていたと思っていて、だからこそ、拙日誌カンピオンの演出こそがまさに“パワー・オブ・ザ・ドッグ”そのもののような作品だと綴ったんよね。
 サイコパスって、主な症状として、感情の一部、特に他者への愛情や思いやりが欠如していることや、自己中心的である、道徳観念・倫理観・恐怖を感じないといったことが挙げられますとされてると思うけど、母親をアルコール依存症に追い込むほどに苛んだ男から母親を護るために殺人を犯したと解してるピートは、少なくとも動機的には齟齬があるように感じるんよね。
 それはそれとして、脳の機能の問題だというサイコパスに「自分にないとは言えず」と言い、成瀬の女の中にいる他人の田代の妻や山の音の尾形家の嫁に比べれば、小さい小さい邪悪しか持ってないという理恵姐の自己イメージって、何なんじゃろ? 何とも掴み難いなぁ(苦笑)。「反社会性パーソナリティ障害」ともされるサイコパスって、かなり強い言葉だというイメージが僕のなかにはあるけど、女の中にいる「他人」ほどにもない代物なの?

>ヒラリン牧師、
 僕は、フィルとピートには同質性があるからこそ、 出会った早々から無意識のうちに感知して響き合ったのだろうと解しているけど、「犬の力」の部分は質が違っているということなら、牧師があの最初の出会いから、ピーターに自分と同じものを感じたのではないか。と書いているのは、ゲイのほうで同じものを感じたということだったの?

(ヒラリン牧師)
 そうですね、特にはゲイとしてのことでしょうね。今もアメリカ社会でゲイであることをカミングアウトするのには大変さがありますが、あの1920年代においてはもっと激しく偏見と差別は強かったでしょうから、自分を守る意味でもあのような行動に出たのだとは思います。
 先のコメントでは、適当な言葉か思いつかず「質」と書きましたが、表し方の違いはあったでしょうが、「犬の力」を持つモノ同士の同質性も感じたようにも思います。

(カーリー理恵姐)
 >ヤマちゃん、
 私は、邪悪さを「サイコパシー」、つまりサイコパスの傾向がある、と拡大解釈してます。
 自分の脳を調べたことがないから分からないだけだけど、その傾向がないともあるとも言えないし、あるかも知れないと想像は出来るので、注意しようと思ってます。
 サイコパシーまで達しなくとも、確実に「邪悪」は持ってます。分からないでしょう。隠してるもーん。😈😆☝️

(ヒラリン牧師)
 >理恵姐さん
 ピーターのサイコパスは明らかだけど、彼にはそれだけやなく、フィルとはまた少し違う邪悪さがありますよ。

ヤマ(管理人)
 >カーリー理恵姐、
 確かに大した邪悪は持ってないよ。田代の妻や尾形家の嫁に比べれば小さい、小さい。だから、あんなに上手に家事切り盛り出来ないわけさ。家政力なし。映画通の皆さんに遊んで学ばせていただく可愛い妻でやんす😅🤗👍と隠してたね~(笑)。

(カーリー理恵姐)
 ヒラリンさんには、一部を告解したよ。牧師だからねー。
 牧師や神父や僧侶には言えるけど、他にはとてもとても言えないよー。邪悪だもん。私がノン・クリスチャンなのに時々礼拝に行く訳はそこにあるー!
 自分の邪悪に怯える理恵姉であった。割と気が弱い。小林桂樹である。
 宗教は大事ね。

(ヒラリン牧師)
 なるほど、強度の差かあ!そうかもしれません。邪悪さではどっちもどっちだろうけど、怖さや異常さでは、ピーターやろうなあ!。
by ヤマ

'22. 4.23.~ 1. 9.



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