『愛のそよ風』(Breezy)['73]
監督 クリント・イーストウッド

 恋愛至上主義というか、ラブ・イズ・シュープリームが暗黙の了解を得られていた時代の作品だなという気がした。

 五十路半ばと思しき裕福な不動産屋のフランク・ハーモン(ウィリアム・ホールデン)の同僚が洗わない世代と言ったことに対して、どん底とまで言っていた“ヒッピーガール”に彼が恋してしまうことになる物語を観ながら、確かに、孤独は人を刺々しくし、癒しを得ると優しくなるものだとは思いつつも、十九歳のどこか緩くてピュアな少女と老いらくの恋に落ちるのは果報以上に難儀極まりないものだと思ってしまった。弱みは見せられないまま見透かされ、先行きへの自信も年齢的に持てないなかで、心ならずも惹き込まれ、心乱され、八つ当たりしてしまう自己嫌悪に駆られていた。それでも、しばらく見失っていた自分のよき部分も引き出され、若気が蘇る歓びを得て、先のことはともかく、今を存分に生きようという心境に至ることによってハッピーエンドとしているところに、ラブ・イズ・シュープリームの時代の映画だと感じたのだった。

 しかし、同じ「一年」が五十五分の一となる男と十九分の一の女が同じような時間感覚で生きられるはずがないことを思うと、過日観たばかりの黄昏['51]を想起するまでもなく、苦しい別れの時が遠からず訪れる怖さのほうが先に立つ。そのときハーモンは、『黄昏』のジョージ(ローレンス・オリヴィエ)のように恋はすばらしいと言えるだろうか。思えば『黄昏』も本作と同様に原題は、歳の離れた若い娘の呼び名だった。

 フランクがときどき君の言葉は鋭いところを突くねと言っていた、自称ブリージーことエディス・アリス(ケイ・レンツ)は、オープニングの登場場面での行きずり男ブルーノのベッドからパンティ一つで起き出たときの何とも緩んだ下着の着け方が目に留まったが、人物造形としての“どこか緩くてピュアな少女”を表していたのだと思い当たった。
by ヤマ

'22. 4.17. DVD観賞



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