『護られなかった者たちへ』
監督 瀬々敬久

 円山幹子(清原果耶)の残した書き込みに言う「不埒な者の声」たる一部のネトウヨあたりに阿った「生活保護の受給バッシング」の先棒を担いでいた国会議員たちの声のことを思い出さずにいられない作品だった。

 遠島けい(倍賞美津子)に辞退届を書かせるに至った時期というのは、東日本大震災時に小学生だったカンちゃんが高校生になっていたから、ちょうど生活保護法において就労による自立の促進、不正受給対策の強化、医療扶助の適正化等を行うための所要の措置を講ずるという趣旨で、彼らの声を受けた法律改正が行われ、給付費削減が現場におろされた平成26年改正後の時期に当たるような気がした。

 本作でも鍵の一つになっていた悪名高き「親族への扶養照会」については、今年になって緩和の運用を現場に求める国の通知が発出されたという報道があったように思うが、廃止されたわけではなかったような気がする。作中に描かれた福祉事務所の職員たちの姿を直視する程に、その背後に働いていた力のことに思いを致すべきだという描き方をした作品だった。

 災害で犠牲になった命への已む無さというものをこういう形で転化させてしまう「不埒な者の声」なるものへの憤りに満ちた幹子の言葉だと感じた。その源流となったものように僕が思っている、2004年のイラク人質事件のときのネトウヨ界隈での「自己責任」論は、あれよあれよという間に横行し始めて、遂には首相が先ずは自助などと公言する時代になってしまっているのだが、苦境にあるのは当人の責任だなどと、何を観て言うのかという憤りが作り手のなかに確かにあるように感じた。

 そういう意味では、演技者たちの充実もあって、なかなかの力作だとは思ったのだが、犯人の人物像、被害者の人物像に釈然としないものが多々残った。当時の福祉事務所職員の置かれていた状況を知り得るに至ってなお、けいが命を落としたのと同じ餓死に見舞わせるだけの怒りを持ち続けたことに得心が得られず、また、幹子があの幹ちゃんなら、鬱病を抱えて就労を果たした母娘を結果的に無理心中未遂に追い込んだエピソードの描き方に少々釈然としないものが残った。

 そもそも原作でも映画化作品のように背後に働いていた力のことに思いを致すべきだという描き方がされていたのだろうか。この部分については、映画化されるにあたって付加されたもののように僕は感じている。殺された福祉事務所職員の人物造形が原作ではどうなっていたのか、少々気になった。
by ヤマ

'21.10. 3. TOHOシネマズ1



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