『温泉みみず芸者』['71]
『温泉スッポン芸者』['72]
監督 鈴木則文

 高校のときの映画部長からの課題作停年退職を観たら、そのままタイトルバックに池玲子がたわわな乳房を上下に揺らせて全裸で波打ち際を走る姿の流れる『温泉みみず芸者』が、まるで宿題を済ませたご褒美のように続き、ついつい観そうになったけれど、寝る時間がなくなるので、止めた。そのまま観たら、翌日のバドミントンの練習に差し支えると思ったからで、翌日には早速観てみた。

 僕が観ている鈴木則文監督作品は、手元の記録では、'80年に観た『堕靡泥の星 美少女狩り』['79]しか残っていないけれども、トラック野郎シリーズや東映ポルノのいくつかは、TV視聴やら学生時分に観たような気がする。ただ、かの池玲子のデビュー作である本作に観覚えはなく、今回初めて観て、その演技の巧拙はともかくデビュー作とは思えぬ貫禄に感心した。当時十代の年齢相応の若々しさと、役柄もあってか妙に肚の座った風情が、歳に似合わぬ貫禄を醸し出していたように思う。

 そして、いかにも鈴木監督作品らしいお下劣さとアホ臭さに感心するやら、呆れるやらだった。なかでも文教省の官僚たちが興じていた芸者遊びのお下劣さには、いかな成人指定の娯楽映画とはいえ当世の不寛容社会では、芸妓業界からのクレームやネットでやり玉に挙げられることを恐れて、もう撮れないに違いないと思わせるものがあった。

 それにしても、大学局はともかく、義務教育課長に続く職名が純潔教育課長で、偏向思想調査係長、秩序維持係長と並んでくるのだから笑ってしまう。序盤に出てきた多胡家で、圭子(池玲子)の妹幸子(杉本美樹)が学校の勉強で朗読していたのが憲法九条で、圭子に想いを寄せる流しの板前マシマ(小池朝雄)が戦争後遺症によって女性と性交のできない体になっているなどという設定には、時代性を感じつつ、それが敗戦後の窮状を凌ぐために米人女性との荒淫を重ねたことによる巨根症で、海行かばが、もう笑うほかないBGMとして使われていたりしたから、右翼勢力などからすれば、もってのほかの映画に他ならない。

 “太平洋”と揶揄されて悲観していた芸者から迫られたマシマが感激しながら試みて、膝と間違われる巨大さで裂傷を負わせて病院送りにしてしまっていたにもかかわらず、圭子の蛸壺は伸縮自在の神壺で、彼女が最初に勤めたトルコ風呂経営者兄弟の不能をともに甦らせ、随喜に包み込んでホントに極楽往生を遂げさせてしまうばかりか、もはやいかなる女性も受容できないはずのマシマの巨根さえも包み込んでいた。多胡家母娘が本尊として仏壇に潜ませていた金庫代わりの蛸壺のごとく、いくどとなく母初栄が男に持ち逃げされて空になっても、すぐまた圭子の稼ぐカネで満たされる魔法のような壺と相通じているようだった。多胡家の先祖で寛永十二年に亡くなった蛸壺考案者の多胡伝兵衛の出身地が土佐の高知だとのナレーションがあったが、どういうところから出た設定だったのだろう。また、前日に観た『停年退職』で昭和三十年代なのに、トルコ風呂のネオンサインが出てきて驚いた件との絡みでは、昭和四十年代半ばの本作では、まだ「スペシャル」と呼ばれる手技が主流であったようだが、全国742軒と語られていたことが気に留まった。

 マシマの友人を自称する、性具の製造販売業者ヒロセ(山城新伍)の開発した“巨根を縮ませる怪しげな性具”の胡散臭さは、ヒロセそのものだった。彼がやたらと連呼していた“性は芸術だ”は、後の日活ロマンポルノ裁判を図らずも先取りしていたようにも感じられて、なかなか滑稽で珍妙だった。しかし、最も珍妙だったのは、無限精流を名乗る竿師段平(名和宏)などという、当時の人気漫画「あしたのジョー」と「釘師サブやん」を思わせる名前の教祖ならぬ流祖の率いる黒竿段吉、ピストン健といったボクサーのリングネームのような男たちと多胡家母娘のセックス三番勝負だった。行司役がいかにもの殿山泰司で可笑しいのだけれど、リングならぬ寝具が自在に変転し、遂には池玲子十八番とも言うべき野外どころか海中にまで飛躍していく。最後はまるでドラゴンボールZの試合会場のようだった。

 竿師段平が海中で大量に放った己が精の浮かぶ白濁のなかに漂っている最期の水漬く屍の姿に、生死を懸けたセックス勝負の激しさをまともに受け取る人は皆無ではなかろうか。天衣無縫ともいうべき池玲子のキャラクターイメージそのものを実に大らかに馬鹿々々しく謳い上げた映画だったような気がする。聞くところによると、本作が日本で最初にポルノという言葉が使われた映画であり、池玲子は日本初のポルノ女優ということになるのだそうだ。単に彼女のデビュー作に留まらぬ、記念碑的な作品だったのかと驚いた。

 数日後に続作『温泉スッポン芸者』も観た。「なんだって? 無限精流の竿師段平、水漬く屍じゃなくて、生きてたの?」という始まりに唖然としたが、主演女優が池玲子から杉本美樹に替わって、タコをスッポンにしただけで、出演者といい、意匠といい、ほぼ前作をなぞった二番煎じだった。菅原文太のノンクレジットのカメオ出演まで同じだ。だが、どこか突き抜けたところのあった前作と違い、掛札昌裕が脚本から原案に引いてしまっているネタの借り物ゆえか、さっぱり冴えない体たらくで、いささか退屈してしまった。

 殿山泰司や団鬼六、福地泡介、田中小実昌らが、劇中にそのままの名でクレジットされて枕芸者と痴戯に興じていたけれど、毛利人体改造工房のタカマロ(山城新伍)のキャラといい、軍歌を持ち出すところといい、腹上死ネタといい、まるで二番煎じどころか、出がらしのような場面ばかりで、さっぱりだった。
by ヤマ

'21. 4.24. TOEI.ch録画
'21. 4.27. TOEI.ch録画



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