『82年生まれ、キム・ジヨン』(Kim Ji-young: Born 1982)['19]
監督 キム・ドヨン

 '82年生まれだと僕の長男と同じなのだが、ジヨンを演じたチョン・ユミを観ていささか若過ぎるように感じたので、いつの映画なのだろうと思ったら、エンドロールに '19年とクレジットされ、「では、37歳ということか!」と驚いた。でも、映画の最後は、少女時分に憧れた小説家になったと思しきジヨンが同名作品を書き始める場面になり、少し時間も経っている気がしなくもない風情だったことを思い、納得していた。だが、映画館を出て掲示板に貼り出されたプレスシートを読むと、チョン・ユミの生年が'83年1月で、役柄のジヨンとほぼ同じであることに魂消た。ジヨンが再就職話の機会を得て、久しぶりに化粧を施し明るい青のスーツに身を包んで構えたときの華が、なかなか鮮やかだった。

 韓国社会では、'82年生まれに特段のシンボリックな何かがあるのかもしれないが、映画からは直接的には受け取れなかったように思う。日本での雇用機会均等法世代のような何かが、'82年生まれにはあるのだろうか。“伝統的な女性観”と“一部の自覚的な女性たちの間に芽生えていた主体的に生きる新しい女性観”との間で、引き裂かれている現代女性像が描き出されていた気がする。貧乏にしてもそうだろうが、貧乏それ自体も苦しいけれど、みな揃って貧しいのと、そう貧しくはなくても傍に裕福な人がたくさんいて自分だけ貧しいのとでは、後者のほうが遥かにキツイように思う。つまり、貧しさそのもの以上に、格差に晒され、引き裂かれることのほうが人を追い詰める気がしてならない。

 外形的には、むしろ比較的恵まれているように見えたジヨンが心を病んだのは、まさしく“引き裂かれている現代女性”だったからのように思った。どちらであったとしても、どちらかに乗っかることができれば、キツくても病むまではいかずに済むものが、ジヨンは生真面目な律義さを自身に課す優等生タイプだったから、自身で自身を引き裂くような営みを重ねて、病んだように見えた。夫に対しても普段は敬称で呼ぶことを欠かさず、夫が気遣いを見せてくれると、必ず自分のほうが譲歩する申し出を自らしてしまう妻でありつつ、仕事における自身の能力を開花させたい自己実現欲も植え込まれていたような気がする。これは、かなり厳しいことだと思う。

 そういった観点からは、ヘンに盗撮事件など盛り込まずに、育児ブルーなり退職クライシスを深く掘り込んだほうが良かったように感じる。その問題自体は、ハイテク技術の無秩序な普及によって、従前にはない異常事態を引き起こしている由々しきことで、リサイクル販売ないしは転売、オークションなどの無秩序な普及にも同じようなことが言えるものの、女性が顕著な被害を被っていることにおいては、すぐれて現代的で且つ突出している領域だ。だから、現代女性の生き難さを描くうえでは、重要な問題だとは思うけれども、小説のように時間制限なく深堀できる媒体ならともかく、映画化作品の本作を観た感じからは、中途半端に映ったので、それなら割愛したほうがすっきりするように思った。

 そのようなこともあってか、この際型で“現代韓国社会に渦巻いている女性にとっての生き難さにまつわる諸問題”をてんこ盛りにして並べ立てていた感が本作には強く、独身女性が観ても、子供のない既婚女性が観ても、存分に同調できるようにしてある感じが、却って折角の作品に少々興覚めをもたらしているような気がした。ジヨンの“物語”であるはずなのに、どこかカタログ的に現代女性にまつわる“問題”を扱った作品のように映ってきたように思われるところが少々残念だった。
by ヤマ

'21. 5. 6. あたご劇場



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