『黒い牡牛』(The Brave One)['56]
監督 アーヴィング・ラパー

 四年前にトランボ ハリウッドに最も嫌われた男を観て以来、気になっていた作品だ。未見だと思っていたのだが、観てみると、レオナルド少年(マイケル・レイ)が少々くどいほどに連呼する「ヒタ~ノ、ヒタ~ノ」の響きに覚えがあり、最後の闘牛場面に「ああ、これだったのか!」と思った。確かTVの月曜ロードショーで観たように思うけれども、虚仮の一念が通じるラストの展開に収まり処は感じても、これに感動するのはなんだか違うのではないのかと思ったような覚えが蘇ってきた。

 落雷による倒木で落命しつつ母牛チャパの産み落とした仔牛ヒタノに執心したレオナルドの願いが、彼の手に入れた、国民の声に耳を傾けた大統領として名高かったらしき先住民出身のベニート・フアレスを思わせる大統領によるお墨付きで得られたのではなく、1937年以来だという“黒い牡牛ヒタノの快挙”によって果たされていた点は良しとするも、瀕死のなかで出産を果たした母牛の根性を受け継いだヒタノは「殺すな!」で、ヒタノほどに根性がなければ「殺せ!」の闘牛ってなんだ?という思いが湧いてこずにいられない運びには、釈然としないものが残った。

 観衆の浮かれた熱に命運が左右される“牛なるもの”に何かを仮託していたのかもしれないけれども、それなら殺されていく牛のほうにも描出を割くべきで、レオナルドの虚仮の一念をあれほど入念に描けば、その焦点がずれてしまうのだから、本作にそのような意図を汲み取ることにも、妙に釈然としない思いが残る。トランボによるとの原案の意図が充分には汲み取られていない映画化だったのかもしれない。
by ヤマ

'21. 3.18. DVD観賞



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