『マルモイ ことばあつめ』(Mal-Mo-E: The Secret Mission)
監督 オム・ユナ

 史実に基づくけれども、人物などについては虚構であることが強調されていたから、本作に描かれた前科者の不識字者キム・パンス(ユ・ヘジン)の存在は、おそらく創作によるものだと思われるが、言葉を大切にし記録することの価値を謳い上げるうえでは、なかなか巧みな造形だったように思う。

 よく事情は呑み込めていないけれども大事な仕事に関わっている感じと、無学な自分と違って学業に秀で誇らしく感じていた息子を退学させずに済む給与を得た喜びから、誠実に取り組んでいたのに朝鮮語学会のリュ代表(ユン・ゲサン)から嫌疑をかけられたとき、チョ先生が彼を庇って発していた「誇り高い男」の言葉通り、キム・パンスがまさに苛烈な生涯を遂げていた。一旦は、子供たちのために学会から離れることを決めて映画館に再就職しながら、改めてマルモイ事業に戻ったことに対して、苦労して得た識字の喜びが大きく作用しているように感じられた点が気に入った。

 物事を知り、理解を深めることで、より高い矜持を獲得するばかりか、命を懸けてでも果たすべき使命を担えるようになっていくキム・パンスの姿に託されていたのは、1919年に独立を掲げて決起した名高い“三・一運動”の流れを受けるものとして、字幕で「辞書」と訳されていたマルモイの1933年から始まる歴史を知り、朝鮮語学会事件への理解を深めることで、より高い矜持を獲得するようになる韓国庶民の姿だったような気がした。

 エンドロールに映し出された、第1次資料として現存しているマルモイの原稿冊子に、夥しい朱書きが加えられていたなかに血痕と思しき染みが残っている頁のあったことが、学者たちの残した資料らしからぬ生々しさを伝えていて、印象深かった。

 リュ代表に「1人による10歩よりも、10人の1歩」との言葉を教え、民主と教育という思想の要点への覚醒を与えながらも、その社会的地位と影響力ゆえに早々に変節を迫られて大日本帝国主義に屈していた第一京城中学の理事長を務めていた彼の父親が象徴していたものと、そのリュ理事長に屈辱を与え、“内鮮一体”スローガンの元、創氏改名を迫り、「朝鮮語は話せない」とまで言うような朝鮮人児童すら生み出していたとする皇民化政策に蝕まれていたパンスの息子ドクジンの象徴していたものを思うと、慚愧に堪えない想いが湧いてくる。

 だからこそ、戦後になって遂に刊行されたウリマル(“我らの言葉”と字幕に記されていた気がする。)を編纂した分厚い辞書の「たんぽぽ」の項に使われていたパンスの手になるイラストと、劇中でリュ代表が壁越しにタンポポの語源についてパンスに説いていたエピソードが効いてくるわけで、リュ代表が持参して届けてくれた辞書に記されている、手書きで“同志”との文字が添えられた父親の名前に、長じて教師になっているドクジンと妹スンヒの涙する姿を涙なしには見つめられなかったのだろう。

 それにしても、標準語を定めるうえで、それぞれの方言をよく知る各地の教師を集めた公聴会を開き、その語源と変異にまつわる討議を踏まえてどの言葉を選出するかを決めるなどという、とんでもなく手間のかかる作業を現出させていたことに驚いた。実際に当時の朝鮮語学会でこのような手続が採られてマルモイの原稿が出来上がっているのかどうかは怪しい気がするが、“民主主義に立つ手続というものの真髄”を描き出していたことに、大いに感銘を受けた。実際に深夜の映画館で秘密裏の討議を重ねたりはしていなくても、マルモイ運動にはそのような精神があったからこそ、方言集めがされたということなのだろう。なかなか観応えのある作品だった。

by ヤマ

'20.12.18. 美術館ホール



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