『太陽の中の対決』(Hombre)['65]
監督 マーティン・リット

 ポール・ニューマンの主演は知っていたけれども、オープニングのインディアンのいで立ちに驚き、何なんだこれは、と観ているうちに、半世紀前の遠い日にTV視聴したことのある作品だと気づいた。

 幼い時分にインディアン【字幕にも記されていた】に拉致されて育てられ、後に白人の元に引き取られながらも、白人社会には馴染めずインディアン居留地に戻って自警団に雇われていたという“アイデンティティ危機”に晒され続けてきたような、トレス・オンブレという名を持つジョン・ラッセル(ポール・ニューマン)の鍛え上げられ、透徹した人物像に大いに魅せられた。原題になっているオンブレの心の内を半世紀前にどれだけ推し量ることができたか心許なくなるくらい、実に抑制された、台詞も少ない人物造形が沁みてきたのだ。インディアンにも白人にも恩義を覚えながら、どちらの社会にも馴染めずに「誰もいつかは死ぬのだから」と幾度か繰り返しながらも、決してニヒルには陥らず、生き方の美学を寡黙に求めているようなオンブレの死生観が味わい深かった。

 犬の肉を食らって飢えを凌がざるを得なかったこともある厳しい環境に育ち、甘っちょろい正義感や善意を信じられるような世界観など持ちようもなく、さりとて決して荒みに堕ちることのない、人の愛情にも恵まれて育ったのであろうオンブレの私心のない生きざまが美しかった。加えて、ガンマンたちの銃並みに威勢よく雄弁なジェシー(ダイアン・シレント)にしても、子沢山の横暴親父の元を逃げ出したかっただけでビリー(ピーター・ラーザ)と結婚したと思しき一日17時間寝ているというドリス(マギー・ブライ)にしても、居留地の管理者という地位を悪用してインディアンを飢えさせ私腹を肥やしたフェーバー(フレドリック・マーチ)と年の差婚をしたオードラ(バーバラ・ラッシュ)にしても、それぞれキャラが立っていて、女優陣が大いに目を惹いた。エンターテイメント作品というのは、こうあってほしいものだと改めて思う。

 しかし、ラッセルとジェシーが交わしていた処世観のぶつかり合いの真っ当さと限界は、今の時代にはもう通用しなくなっているのではないかという思いが湧いたりもした。ぶつかり合わずに隔絶し、分断されて同調者同士で固まっていそうに思われるのが、昨今の状況のような気がする。それと同時に、この1965年のオンブレのキャラクターは、'70年代に日本で大流行した木枯し紋次郎のキャラクターに通じるところがあるようにも感じた。

 昔の映画をこの歳になって観直すのは、なかなか面白いものだ。とりわけ本作の場合、差別と搾取の拡大する時代において、尚更に観直す価値が大いにあるような気がする。

by ヤマ

'20.11.30. BSプレミアム録画



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