『ガーンジー島の読書会の秘密』
(The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society)
監督 マイク・ニューウェル

 地元のシネコンでは、ほとんど洋画の上映をしなくなったので、市民映画会などのオフシアター上映会が殊の外ありがたいと思うようになった。もう市民映画会とあたご劇場、この上映会の主催者であるシネマ・サンライズでくらいしか外国の劇映画が観られなくなってきているように感じる。

 本作では、「足るを知りつつ大志を抱く」とのドーシー(ミキール・ハースマン)の言葉が妙に心に残った。彼の大志とは、いったい何だったのだろう。読書会の主導者だったエリザベス(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)の残した「貴男は最後のパンを差し出してくれる人よ」という言葉の指していたものを保ち続けることだったのかもしれないと思った。

 原題の「ガーンジー島 文学とポテト皮パイ同好会」というのは、少々珍妙ながらも、人はパンのみにて生きるにあらずとしても、やはり大切な食(たとえどんなに不味かろうと)というものを併置した、なかなかの名称ではないかと感心した。

 思えば、大学の文芸サークルに属していたときの読書会のみならず、映画の自主上映活動に携わっていた時分の例会作品上映後の打上会での作品談義、映画日誌のHPを開設してからの掲示板での談義、映画好きの牧師さんが催す観賞会での近年の飲茶会談義と、僕には、ずっと読書会的なソサイエティが傍らにあったことを改めて思った。それらは、本作の読書会のような家族的なものを醸し出すものではなかったけれども、僕にとっては、とても意味深いソサエティだと思っている。

 そういう場で、自らの言葉として発したものというのは、けっこう自身を規定するようなところがあって、大学時分の読書会で「書くこと」についていろいろ語ってしまったことが、それを職業とするには至らずとも、何らかの形で今なお書き続ける僕の日々をこうして形作っているような気がする。

 エリザベスが、作家のジュリエット・アシュトン(リリー・ジェームズ)の生き方に大きな影響を与える苛烈な生を貫いたことにも、ドーシーの大志にも、そういった“読書会の場で自ら発してきた言葉”というものが少なからず作用してきたに違いないと思った。職業的立場といったものが言わせる言葉とは違った重さと深さというものが、ソサイエティとしての読書会での発言にはあることを、ささやかながら僕も知っている。

 まるでエリザベス・マッケンナの消息をもたらすためだけに現れた形となって少々気の毒だった米人将校マーク・レイノルズ(グレン・パウエル)は、本作に描かれた範囲において何らの落ち度も欠点もない有能な紳士だったと思うけれども、ドーシーの持っているそういう部分を感じさせない冷静で合理的な実利家であることにジュリエットは気づいてしまったということなのだろう。ジュリエットから読書会に届いた手紙を読んで、婚約を破棄したと読み取ったドーシーがメンバーの老エベン郵便局長(トム・コートネイ)から「何処にそんなことを書いてあった?」の声を背に表に飛び出していく場面に示されていたような“読み取りの力”というものを培ってくれるものが読書会であり、鑑賞談義なのだと思う。

 読み、観るだけに留まらない語り合いや綴ることの持つ意味を改めて見せてもらったように思う。邦題になっている「読書会の秘密」には、もう一つそういう意味があるような気もした。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/permalink/2443382609094641/
by ヤマ

'20.10.28. 美術館ホール



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