『麗しのサブリナ』(Sabrina)['54]
監督 ビリー・ワイルダー

 作中でサブリナ(オードリー・ヘップバーン)も歌う、エディット・ピアフの作詞した♪ラ・ヴィ・アン・ローズ♪は、何度聴いたことがあるか数えきれないけれども、本作を観るのは初めてとなる。これもまた、先輩映友から託された宿題映画なのだが、あれは何年前のことだったろう。

 ただ、奇しくも我が国でも今年からのレジ袋の有料化などで見直しが図られているプラスチックの新製品が、まさしく新素材として脚光を浴びていた時代であったことが目を惹いた点では、タイムリーだったと言えるかもしれない。加えて、アメリカにとってパリが特別な意味を持っている時代だったことも併せ思うと、やはり七十年近い歳月の開きは、その提示されている恋愛観も含めて、如何ともしがたいと思うようなところもあった。だが、プラスチックとパリは別にして、恋愛観においては今世紀に入ってすっかり反動化し、女性の見目麗しさに対する男性の財力を最強要素とすることへの違和感は乏しくなって、本作の言わば“相手変われど変わらぬ身分違いの恋”の成就を以て美しき物語とすることが、むしろ当然のごとく若い世代からの支持を得そうになっている気がしなくもない。そういった世相の変遷までも含めて、七十年の歳月というものが沁みてきた。

 さればこそ、一歩間違えれば厭味な話になるものに、洒落た装いを施すことにおいて、流石の作り手、役者陣だったというところに最も感心した。お抱え運転手の娘などもっての外だとする民主党嫌いのララビー家の当主を配したうえで、そこにはこだわりを全く見せない次男デイヴィッド(ウィリアム・ホールデン)と固着まではしていない長男ライナス(ハンフリー・ボガート)を置き、ララビー家の当主よりも遙かに紳士然とした運転手(ジョン・ウィリアムズ)を設えていた。そして、家格といった視座から解き放たれて、当人個人に向ける視線(たとえそれが外形的な見目麗しさに留まろうとも)によって相手を見定めることを以てリベラルな恋愛として称揚していたような気がする。

 大きな庭園と多数の使用人、優に十台近くあった高級車を持つ富豪の家に育ち、幾度もの離婚と女性遍歴を重ねるドラ息子のデイヴィッドが女心を熟知した粋な身の処し方を最後に見せるあたりに、ハリウッド作品らしい収め方が窺えたが、これがあるからこそ、兄ライナスの“嵌めたつもりが嵌まり込み”といった態の冴えないはずの顛末が、むしろ逆に自己革新的な脱皮として映ってくるようになっているところがミソだと思った。
by ヤマ

'20. 7.28. DVD観賞



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>