『エジソンズ・ゲーム』(The Current War)
監督 アルフォンソ・ゴメス=レホン

 新型コロナウィルス禍のなか4月29日以降二ヶ月近く感染者の発生していない当地ながら、一週間ぶりに訪ねた劇場の観客数は、僕を含めて六人。社会的距離に何の不安もない閑散とした有様ながら、前回は僕一人だったことからすれば、六倍に増えているとは言える。

 九か月前に人間野口英世を描いたマキノノゾミによる再びこの地を踏まずを観劇した際に還暦も過ぎた僕が子供の時分、学校の先生が勧める読書の最右翼が偉人伝で、なかでも野口英世とエジソンは不動の四番打者のような存在だった。だから、(略)マキノノゾミの作なら一味違うのではないかと思っていたら、偉人とされながらも実はという暴露物でもなければ、それでも彼はやはり偉かったと全面的に讃えるものでもなく、流石だと思った。と記したエジソンの登場する、同趣向の作品で、なかなか興味深かった。

 ベネディクト・カンバーバッチの演じたエジソンや、彼が電話のアイデアを盗まれたと言っていたグラハム・ベルの名は知っているものの、発明家以上に実業家だったエジソンと「電流戦争【原題】」を繰り広げていたジョージ・ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)やニコラ・テスラ(ニコラス・ホルト)の名前にはまるで覚えがなかったから、施されていた人物造形もさることながら、その存在自体が目を惹いた。ただ、その描出や展開にはどこか唐突感の付きまとう部分があって、改めてマキノノゾミの作劇の上手さが偲ばれたように思う。

 もっとも人間野口英世を描き出すことに主眼を置いたマキノ作品からすれば、原題が示すように本作は、エジソンに焦点を当てる以上に、19世紀末の電気事業における熾烈な事業者間競争に焦点を当てた作品だ。そして、事業化されて人々の生活に大きな影響を与えるほどの発明は、一人その名を冠せられる発明家個人によって果たされるものではないということをよく描き出していたと思う。エジソンの掲げる“安全な”直流送電と、ウェスティングハウス&テスラの掲げる“安価な”交流送電の対決も電球、発電モーターほか、さまざまな技術やアイデアを巡る特許の交錯や資金力の問題が複雑に絡み合うばかりか、人間的な感情のもつれが作用することで、シンプルな合理性とは懸け離れた状況のなかで展開するものであることがよく描かれていたような気がする。

 エジソンとテスラの関係に比べ、エジソンとウェスティングハウスの確執の発端がきちんと描かれておらず、もっぱらエジソンからの盗っ人呼ばわりでしか示されていなかったのが大きな不満だが、プライドが高く自己顕示欲の強いエジソンが、素朴な愛妻家であり、功利を率直に求める人命尊重者であることはよく示されていたように思う。あれだけ多彩なアイデアを生み出した稀代の発明家なれば、盗用不審に見舞われるのももっともだと思われる一方で、エジソンとても他者や先人の業績の恩恵を蒙るなかでの発明であることや、同時代の同時期に似たような研究を重ねている競合者が数々あるのは、現代の企業の製品開発競争と何ら変わるものではないことをよく示していたような気がする。

 そのなかにあって、名高い個々の発明品以上に電気事業の展開において重要な鍵を握っているものとして“銅線”に光を当てていたことが目を惹いた。いくら画期的な発明であっても、それを活かすうえで欠くことのできない重要な役割を担っている何の変哲もない存在の支えなしには機能しないというわけだ。それは何も発明品に限ったことではなく、“偉人”とされる人間存在においても言えることだ。

 そして、銅線には、ちょうど百年後のインターネットを巡るIT革命時の光ファイバーケーブルを彷彿させるものがあった。そして、アップルVSマイクロソフトの競争を想起せずにはいられないと同時に、まさに歴史は繰り返されるとしみじみ思った。作り手にもきっとその思惑があったに違いないと思わせる銅線だったような気がする。
by ヤマ

'20. 6.25. TOHOシネマズ9



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>