『幸福(しあわせ)』(Le Bonheur)['64]
監督・脚本 アニエス・ヴァルダ

 積年の宿題映画をようやくまた一つ片付けることができた。幸福とは何かということについて深い洞察と過激な挑発に満ちた凄い映画だった。これほどの作品だとは思っていなかったので、思わず脚本・監督を担ったアニエス・ヴァルダが幾つの時の作品なのだろうと確かめたら、ジャック・ドゥミと結婚して二年ほど経った三十路半ばの頃の映画だった。

 叔父の元で内装業の職人をやっているフランソワ(ジャン=クロード・ドルオー)の妻テレーズ(クレール・ドルオー)の死と、その死を悼んで家族が集い善後策を算段するなか義母が涙している場面のほかは、全編どこを取っても柔らかい光と鮮やかな色調、豊かな自然に彩られた“幸福感に満ちた場面ばかり”が綴られているところに感嘆させられた。

 オープニングの一男一女家族四人でのピクニックの家族団らん以上に、婚礼ドレスを請け負うほどの確かな腕前で服の仕立てを内職にしているテレーズが夫の帰宅に「早いのね、うれしいわ」と声をかけ、娘と思しき若い女性を連れて仕立て依頼に来ていた中年女性が「これが妻のセリフですよ」と漏らし、夫婦連れ立っての映画観賞に『ビバ!マリア』と思しき作品を観に行くことができることを喜ぶ二人の仲睦まじさを丁寧に描き出し、フランソワが妻をとても愛している様子を印象付けたうえで、郵便局に勤めるエミリ(マリー=フランス・ポワイエ)に惹かれ、町の「誘惑」「秘め事」といった看板の文字に誘われるように婚外恋愛に勤しむようになるわけだが、うちでも外でも幸福感満喫で、すっかり有頂天になったフランソワが、その幸福感の余り制し難くなってか、嬉し気に妻にそのことを告げてしまう。

 唸らされたのは、恋人エミリも妻テレーズもそれぞれ妬みと失望を漏らし窺わせながらも、それ以上にフランソワを愛していると許容するばかりか、まるで対抗意識を燃やすように熱っぽいセックスに及ぶ運びを描いて、実に大らかに変わらぬ幸福感を描出していたところだった。そこには、エミリとフランソワの対話のなかにも出てくる「私は私」「僕は僕」といった個人主義の徹底が窺えるフランスならではの部分があるようにも感じたが、瞠目したのは、その直後に勃発したテレーズの水死について作り手からの色付けが何もされていない点だった。

 さらにテレーズの死後、エミリと再婚したフランソワ一家における家族団らんをオープニングの一家団らんと何ら変わらないものとして、よく懐いた子供たちを甲斐甲斐しく世話するエミリの姿とともに描いて、やはり変わらぬ幸福感の描出を重ねていたことに恐れ入った。

 ここで挑発されているのは、もちろん観る側で、このことをどう観るか、その人生観、人間観が問われているように感じた。幸福とは観念ではなく、幸福そうに見える“事実的な営み”の醸し出しているものに他ならないと言えると同時に、幸福そうに映っていることが必ずしも幸福とは限らないことを示しているとも見える。

 テレーズの死についても、“失意による自死”と観るか、より積極的に“改めて湧いてきた怒りと抗議としての自殺”と観るか、或いは“失意による狼狽の招いた事故死”と観るか、それこそ“偶発的な不慮の事故死”と観るか、観る側に委ねられていたように思う。そして、エミリの件がその死に影響を及ぼしていると観る者のなかで、夫フランソワに対する憤慨を覚える者、既婚者であり且つ愛妻家であることを明言していたフランソワ以上に、そんな男と恋仲になるエミリに対する憤慨を覚える者、いかなる事情があったにせよ幼い我が子二人の育児放棄は許せないとテレーズに対する憤慨を覚える者、とりわけ女性客の観方は、人によって大いに分かれそうな気がした。「女は弱し、されど母は強し」と観る向きからはそれゆえに、彼女の死は自殺などであろうはずがないとの見解が示されそうな気がする。

 そして、死因がそのいずれであったにしても、孫の養育を申し出る祖母が涙していた場面のような善後策の協議は必要となるし、幼い子供たちが欲したであろうはずの“残された父親と一緒に暮らせる生活”を営むうえでは、父親の再婚が望ましく、そこで継母が良き母親としての振る舞いを全うできたなら、子供たちにとっては何よりの善後策であると言わんばかりのエンディングを設えてある点に、脚本・監督を担ったアニエス・ヴァルダの深い洞察と過激な挑発を観たように思った。女性作家の彼女が挑発したのは、とりわけ女性客であったに違いない。大したものだ。ある意味、「男は全くしょうがないけど、こんなものよ」と言われているような気がした。タイトルの幸福については、何が幸福か以上に、誰にとっての幸福が問われるべきものかという観点にある作品のように感じる。
by ヤマ

'20. 4.12. DVD観賞



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