『COLD WAR あの歌、2つの心』(Zimna Wojna)
監督 パヴェウ・パヴリコフスキ

 タイトルが「COLD WAR」でチラシの表に朱文字で「冷戦下のポーランドで恋に落ち、時代に引き裂かれたピアニストと歌手」などと記してあるものだから、てっきり社会派かと思いきや、実にオヨヨ~な展開を見せる映画だった。まさにポーランド版マノン・レスコーとも言うべき、こてこてのロマン派だという気がする。音楽舞踊団養成所の教師ヴィクトル(トマシュ・コット)も、歌姫を夢見る少女ズーラ(ヨアンナ・クーリク)と出会わなければ、決して音楽を失うこともなかったろうし、そもそも亡命さえしてなかったのではないかと思う。

 師弟の間柄を超えた秘め事を誰気兼ねなく過ごすための蜜月を望んだのは、おそらくヴィクトル以上にズーラだったはずなのに、それに応えて決死の覚悟で企てた亡命をいとも呆気なくすっぽかしたズーラと亡命先のパリで再会したことから始まった腐れ縁を、実に妖しく美しくミステリアスに綴っていた本作において、冷戦が引き裂いた部分などというのは、ほんの些少だという気がして仕方がなかった。

 気ままに男を渡り歩いているようでありながら、確かに他にはない熱情を秘しているのはヴィクトルに対してだけだと思えるものだから、実にタチが悪い。のちに音楽舞踊団の管理部長から栄達してポーランド政府の要人となったと思しきカチマレク(ボリス・シィツ)からも褒められていたレコードを二人で製作したり、映画音楽の仕事も得たりして成功していたヴィクトルだったのに、ズーラの突然の失踪に全てを投げうってしまうのだから、気が知れない。

 かような「2つの心、4つの瞳」の熱情に巡り合うことは、果たして幸いなのか否かなどとつい思ってしまうのは、僕が明らかに彼ら二人よりは、カチマレクのほうに近いメンタリティを持っているからだろう。よくも悪くも二人のようなアーティストとは住む世界を異にしている。そういう意味での対置として、“純粋”とは程遠く妙に胡散臭いものを常に漂わせていながら、必ずしも悪党ではなさそうにも映る人物造形を施されていたカチマレクに惹かれた。ある意味、彼もまたズーラに対して一途な想いを地味に抱き続けていた形跡の窺える設えが、♪オヨヨ~♪と効いていたように思う。

 劇中に映画音楽の録音場面を仕込んでいたことからも窺える音楽への注力と、戦後ほどない1949年の謎めいた少女期から、幾度かの結婚を経て少年の母にもなっている成熟期の貫録をきちんと体現していたヨアンナ・クーリクの身体つき、ヴィクトルの潰された指の痛ましさが、画面に力を与えていたように思う。




推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2019/kn2019_07.htm#01
by ヤマ

'20. 2.26. 美術館ホール



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