『愛と法』(Of Love & Law)
監督 戸田ひかる

 実に活き活きとした温かい血の通いの感じられるドキュメンタリー映画だった。大阪の「なんもり法律事務所」を共同経営しているらしいゲイカップルの弁護士が関わっている、ろくでなし子裁判も君が代不起立裁判も無戸籍者裁判も、新聞報道時にかなりの強度で目に留まっていた事案だっただけに、当事者たちの肉声に揃って触れられたことを嬉しく思うとともに、そのいずれにも関わっている弁護士事務所があって、まさに当事者としてレインボウ・フェスタにも参加していることに驚き、心打たれた。

 僕よりニ十歳若いアラフォー弁護士が、その弁護活動のなかで、裁判官の質の劣化と裁判所の酷薄化を嘆いていたことが印象深い。小渕内閣のもと、国旗及び国歌に関する法律が制定されたときには、決して国民に強制しないと約束されたはずなのに、制定後二十年も経たないうちにこの始末だ。大阪府立高校の卒業式での国歌斉唱時に起立しなかったとして減給処分を受けた元教諭・辻谷博子さんは国民ではないと言うに等しい判決を裁判所が出せる法理が僕には理解できない。

 国家主義と民主主義というのは、まさに単純明快な対置イデオロギーだと思うが、辻谷元教諭が「(後者に立つ)自分たちが多数者だと思っていたら、あっという間に少数者になっていた」と零していた言葉が印象深かった。我が国のエスタブリッシュメントのノーブレス・オブリージュとは程遠い質の劣化が裁判官にまで及んでいることを法曹界の壮年弁護士が切実な言葉で語っていることに暗澹たる想いが湧いた。

 ろくでなし子こと五十嵐恵が猥褻を問われた事件でも、論旨の明快さと性表現の現況からして、どうして逮捕立件されたのか不可解なくらい、歴然としているようにしか思えず、国家主義の伸長を象徴しているように感じたものだったのだが、今回、五十嵐父娘の姿や発言を目にして、改めてどういう経緯で警視庁による逮捕となったのか、不審に思った。官邸御用記者との風評のあった元TBS記者のレイプ事件が潰されたとの疑惑が国会でも取り沙汰されたような事態とちょうど逆方向の何かがあったのではないかという気さえした。

 全国に1万人いると推計されていたらしい無戸籍者については、今は行政サイドに無戸籍相談窓口というものが設置されているようだが、なかなか制度的対応が図られなかった背景には、わが国では家制度とセットになっている国家主義の影がチラついて仕方がなかった。

 大きな流れとして、加速度的に民主主義国家から国家主義国家へと転換していっている今の日本において、なんもり法律事務所の弁護士夫夫が取り組んでいる諸問題は、ゲイ夫夫として正式に大阪市から里親の認定を受けるに至った私的活動も含め、どれもが非常に重要で意義深いものであることに大いに感心するとともに、二人の培ってきている人間性の豊かさに感銘を受けた。その豊かさが、自身がマイノリティの当事者であることに起因しているのであれば、マイノリティはマイノリティであるがゆえに掛け替えのない存在であると改めて思った。
by ヤマ

'19. 8.25. 自由民権記念館・民権ホール



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