美術館夏の定期上映会/歴史民俗資料館「昭和から平成へ」展関連上映会
“怪奇と恐怖の饗宴(うたげ)『怪奇大作戦』『恐怖劇場アンバランス』特集
 ~円谷プロが描いた50年前の日本~

Aプログラム
怪奇大作戦
 「青い血の女」 監督:鈴木俊継 脚本:若槻文三
 「霧の童話」 監督:飯島敏宏 脚本:上原正三
 「オヤスミナサイ」 監督:飯島敏宏 脚本:藤川桂介
 「かまいたち」 監督:長野卓 脚本:上原正三
恐怖劇場アンバランス
 「仮面の墓場」 監督:山際永三 脚本:市川森一
 「死体置場(モルグ)の殺人者」 監督:長谷部安春 脚本:山浦弘靖
Bプログラム
怪奇大作戦実相寺昭雄監督特集
 「恐怖の電話」 監督:実相寺昭雄 脚本:佐々木守
 「死神の子守唄」 監督:実相寺昭雄 脚本:佐々木守
 「呪いの壺」 監督:実相寺昭雄 脚本:石堂淑朗
 「京都買います」 監督:実相寺昭雄 脚本:佐々木守
恐怖劇場アンバランス
 「サラリーマンの勲章」 監督:満田穧 脚本:上原正三
 「墓場から呪いの手」 監督:満田穧 脚本:若槻文三

 '68年から'69年にかけて放送された『怪奇大作戦』(TBSドラマ)では、上原正三らしい社会性の強い脚本が冴えていた『霧の童話』が目を惹き、『チャイルド・プレイ』に二十年先立つ人形の怖さが鮮烈な『青い血の女』が印象深かった。『オヤスミナサイ』では、高原のヒュッテでのちょっと洒落たディナーを演出したメインディッシュがケチャップのスパゲティナポリタンだったりするのが可笑しかったけれども、あの当時はそういうものだったのかもしれないとも思った。『かまいたち』では、通り魔殺人を描きながら、今に通じる社会不安を漂わせていたことが目を惹いた。

 翌日観たBプログラムでは、『怪奇大作戦』が実相寺監督特集になっていた。女性のお相手は専ら三沢(勝呂誉)のようだった同シリーズにあって、牧(岸田森)の恋が描かれた『京都買います』での斎藤チヤ子演じる須藤美也子の撮り方に、仏像の持つ官能性を想起させるような凝り方が施されていて、ひときわ目を惹いた。最後にチラリと映し出されていた京都タワーが利いていて、その建設の引き起こした景観論争が下地になっていると思しき脚本だったが、インバウンドに沸いて寺が富裕層狙いの高額宿泊ビジネスに精出している今の京都を藤森教授(岩田直二)は、どう評することだろう。


 僕の住む高知にフジテレビ系列の放送局ができたのは、'90年代半ばになってからだったので、'69年から'70年にかけて制作され'73年に放映されたとの『恐怖劇場アンバランス』については何の覚えもなかったが、今なら「サスペンス」という心の宙吊り感を誘うジャンルを当時は「アンバランス」と称していたのかと妙に可笑しかった。

 もろに寺山修司を挑発しているような『仮面の墓場』に驚いた。演じていた唐十郎が台本も書いたのだろうかと思ったが、脚本は市川森一だった。だが、小劇団「からしだね」の座長・犬尾に寺山修司を想起させるような色付けをしたのは犬尾を演じた唐十郎のような気がしてならなかった。

 『死体置場(モルグ)の殺人者』では、大学助教授の医師の愛人役の西尾三枝子が「情婦」という言葉を使っていたのが気に留まった。今はもう時代劇でもなければ殆ど聞くことのなくなった用語も、この時分は普通に使われる言葉で、愛人という言葉にはまだ不倫ニュアンスがなかったような気がする。

 二作とも満田穧監督作が並んだBプログラムでは、殺人事件も怪現象も起こらない『サラリーマンの勲章』が面白かった。この時分には幡ヶ谷にもヌード劇場があったのか、と地名に意表を衝かれた。『墓場から呪いの手』も含めて『恐怖劇場アンバランス』の四作品はいずれも情痴のもつれが絡んでいて、改めてそれこそが最も卑近な“人生のアンバランス”の核なんだろうと思ったりした。




参照テクスト:美術館 夏の定期上映会 公式サイト
https://moak.jp/event/performing_arts/post_311.html
by ヤマ

'19. 8.24~25 美術館ホール



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