『家へ帰ろう』(El Ultimo Traje)
監督 パブロ・ソラルス

 奇しくも運び屋のアールを演じたイーストウッドと同い年になる、ホロコーストを生き延びたアブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)が、窮地を救ってくれた幼馴染を、1945年の別離以来の生死も分からぬままに、アルゼンチンからポーランドへ70年ぶりに訪ねる物語を観ながら、『運び屋』にも通じる88年を生きた男たちの味わい深い表情に心打たれた。

 アールにもアブラハムにも、その歳ならではの稀有な色気があって、共に頑固な偏屈爺ぃのくせして女性たちにモテていることに納得感があって感心。マドリッドのホテルの女主人(アンヘラ・モリーナ)の腕に収容所の痕跡があるのは、さればこその出来事なのだが、ブエノスアイレスから遠く離れたマドリッドに暮らす娘の腕にも同様の入墨がチラリと映って、少々不可解な気持ちになった。だが、後から、現代の欧州を走行する特急列車の車内に70余年前の食堂車でのナチスの酔態を観るアブラハムの姿が出て来て、マドリッドの娘の腕に彼が観た入墨は、遠い日の愛妹の腕にあったもので、アブラハムにとって彼女が、自分を施設送りにしようとしている他の娘たちとは違う特別な存在であることを示していたのではないかと思った。

 パリで出会ったドイツ人文化人類学者(ユリア・ベアホルト)も、ワルシャワで巡り合った看護婦(オルガ・ポラズ)も、少々謎めいた素敵な女性たちだった。それぞれドイツ人、ポーランド人であることや職業についても、ある種の寓意をまとっているような気がする。通過することさえ厭うドイツであったり、口にすることさえ憚れてその名を筆記で示すポーランドという国にまつわるアブラハムの拘りが、稀有な女性たちとの関わりによって少しづつ解されていくプロセスが、とても美しかった。

 汽車の乗り換えはドイツの地に足を付けることになると拒んでいた彼が、降りるときには頑なに駅のホームを直に踏もうとしなかったのに、乗るときにはその囚われが解けていたことに象徴的に現れていたものが、アブラハム個人に留まらない形で訪れるべきことなのだと思う。事はユダヤの民にとってだけのことではない。民族主義などに名を借りた狂信的な求心力を企図する数多の政治的暴虐の犠牲者の全てに与えられるべきことのように感じた。

 ドキュメンタリー的なリアリズム筆致とは反対の、ある意味、ファンタジックとも言えるような実に映画的なイメージで綴られたからこそ、そういったことがしみじみと伝わってきて、原題である「最後のスーツ」の活きてくるラストが胸に迫ってくるのだろう。

 奇しくも四日前に、大阪の国立国際美術館で開催されているクリスチャン・ボルタンスキー[LifeTime]で、ホロコーストにまつわる鎮魂と慰霊を体感するような展示を観てきたばかりだったことも相まって、感慨深いものがあった。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/19043002/
by ヤマ

'19. 3.28. あたご劇場



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