『クリード 炎の宿敵』(Creed Ⅱ)
監督 スティーヴン・ケイプル・Jr

 流行りものには食指が動かなくなる天邪鬼の僕は、若い時分にはとりわけその傾向が強くて、かのロッキー・シリーズ['76~]をまともに劇場で観たことがない。『ロッキー4 炎の友情』['85]は、もう社会人になっていたし、確か松竹ピカデリーで観たような覚えがあったのだが、手元の控えで確かめてみたら、劇場観賞はどうやら『ロッキー・ザ・ファイナル』['06]だけのようだ。しかし、何度かテレビ視聴はしており、けっこう気に入ってるからか、本作もかなり面白く観た。

 本作では、ロッキー(シルベスター・スタローン)がボクシングをするわけではないが、'70~'80年代を同時代で過ごしている者には、やはり♪ロッキーのテーマ♪のファンファーレが鳴り始めると心浮き立つようなところがある。それがクリード Jr.(マイケル・B・ジョーダン)の試合であってでもだ。

 前作『クリード チャンプを継ぐ男』['15]は未見だから、ロッキーと息子ボビーとの間にどのような確執があるように描かれていたのか判らないけれども、亡き友の遺児に対しては、良き父親であれる者が、実の息子に対しては同じようには臨めないというのは決して珍しいことではないように思うから、違和感なく観られた。『ロッキー4』で死んだアポロの息子アドニスに子どもが生まれた際に交した二人の会話がなかなかよくて、ケイトとキャシーだったかの“およそ黒人の女の子にはふさわしくない名前”をロッキーが提案してアドニスから即座に却下されていた。この会話だけで、ロッキーが名付け親になってもおかしくはない関係性が双方の暗黙の了解としてあることが示されたうえで、きちんと普通にダメ出しもできるフラットさも併せてあることを表し、尚且つ頬を弛めることのできるちょっといい遣り取りだった。ロッキーには、アドニスが異人種であるという意識が迂闊なくらいにまるでないことが表れていた。

 それにしても、イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)のみならず、リュドミラ(ブリジット・ニールセン)までも登場してくるとは大したものだと感心した。これによって、疑似親子も実の親子も併せ、尚且つ疎遠のみならず、子棄てのことも含めて、あちらでもこちらでもの親子ものになっていた気がする。そして、ドラゴが出てくるからこその“炎の宿敵”だったのかと納得した。前作を観てみたくなった。




◎追記('20. 9.29.)
 去年、『クリード 炎の宿敵』を観たときに「前作を観てみたくなった」と記していた映画を観た。日誌に前作『クリード チャンプを継ぐ男』['15]は未見だから、ロッキーと息子ボビーとの間にどのような確執があるように描かれていたのか判らないと綴っていた部分については、カナダに住んでいる息子と映った写真が出て来て、「ロッキーの息子で生きるのは、いろいろとあるんだろう」といったことが呟かれるだけで、特段の事情が描かれてはおらず少々拍子抜けしたが、その分、アドニス(マイケル・B・ジョーダン)の“過ちで生まれた存在”ではないことの自己証明の物語に含蓄があって、BLM運動が改めて注目を浴びるようになっている今、好タイミングで観ることができたように思う。

 アドニスから名付け親を頼まれて頭を捻った名前を笑われる場面の湛えていたフラットな関係が印象深い。スタローンの演じるロッキーは、やっぱ、いいなぁ。
by ヤマ

'19. 1.27. TOHOシネマズ5



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