『あいあい傘』
監督 宅間孝行

 倉科カナも市原隼人も好みの役者なので観逃すまいと、今週でもう終わりとのスケジュールのなかで駆け込んだ。最後の最後に「何、何、これ?」と少々訳が分からなくなったけれど、二人とも持ち味を存分に出していて、いい場面が多くて満足した。五年前に観た『キッズ・リターン 再会の時』['13]で倉科カナの演じていた女性の雰囲気が、本作で原田知世の演じていた玉枝に通じるところのあるものだったことを思い出した。『ひまわり』['70]のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)にはジョバンナ(ソフィア・ローレン)との間に子供はなかったが、六郎(立川談春)は横浜に、さつき(倉科カナ)を残してきていたわけだ。

 玉枝に「貴女はなんにも悪くない」と言いながら、受け入れがたい現実を何とか呑み込もうとしている高島さつきの健気な苦衷にほだされ、さればこそ、清太郎(市原隼人)が教えてくれた父、六郎の東方に手を合わせる朝夕の日課を観、玉枝が差し出してくれていたカードを手に取って、彼女が得ていたカタルシスに大いに感じ入るものがあった。

 何もかもを明け透けにぶつけ合う日出子(高橋メアリージュン)と力也(やべきょうすけ)のような“あいあい傘”も悪くないのだが、いささか古風な、真っ直ぐには向き合えないままに、察して交わす寄り添いもまた、掛け替えのない人生の“あいあい傘”なのだと思う。若い頃の僕は、そういう回りくどい自己表出や思い遣りなどというものに強い反発心を抱いていたのだが、歳経るとともに角が取れてきたのかもしれない。観逃さずに済んでよかったと改めて思った。

 とはいえ、最後に仄めかされた清太郎の余りに手の込んだ傘の差し掛け方は、明け透けにぶつけ合うことの対照だとしても些かやり過ぎで、少々興を削いだような気がする。これを持ち出すのなら、せめて玉枝が清太郎に頼んでという形にしておくべきで、清太郎自身のさつきに対する幼い時分からの想いというのが前に出てはいけない気がした。
by ヤマ

'18.11.12. TOHOシネマズ8



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