『カスリコ』
監督 高瀬将嗣

 吾一(石橋保)が夜更けに自転車で疾走していた道路に埋め込まれた点滅灯については、「ガムテープかなんかで目張りしとかなきゃ」などと思ったけれども、昭和四十年代の高知を舞台にした映画のロケハンの頑張りに感心した。そのうえでは「やはり美良布の間崎医院が利いているよな」と思った。また、モノクロ映画にしたことで、時代的雰囲気がいっそう増しているように感じた。

 脚本を書いた國吉卓爾が高知出身で、賭場の世界を知っている'46年生れとのことで、虚構的に美化された、ある意味、颯爽とした裏の世界が気持ちよく描かれていたように思う。今や表社会があまりになし崩し的なぐじゃぐじゃ世界に堕しているために、こういう義と情の世界に触れると、どこかノスタルジックな気分に誘われた。背筋がしゃんと伸びている男たちの佇まいを演者がよく表していた気がする。ちょうど『アウトレイジ』なんかと対極的な世界だと思った。

 土佐ものを映画化すると、得てして野卑な佇まいを売りにしがちなだけに、ある種、洗練された男たちを描いて見せたところが新鮮だった。ヤクザの大幹部の荒木(宅麻伸)が吾一に温情を掛けたのは、彼の料理人としての技量に惚れ込んでいたからだけではなく、遠い昔の、彼がまだ裏社会での力の不足していた時代に為す術の無かったゆかりの人物を吾一に重ねていたからではないのかという気がした。

 僕自身は、むろん賭場のことなど皆目知らないけれども、札が入って客が張ることを促す際に「どんなこと、どんなこと」と勢子の穏やかに囃し立てる掛け声が耳に留まった。亡き叔父貴が、僕と囲碁を打つときなどによく使っていた言葉で聞き覚えがあったからだ。麻雀を始め、ゴルフ、株取引と勝負事の好きだった叔父は、もしかすると盆の世界も垣間見たことがあるのかもしれないと思ったが、もはや確かめるすべがない。

by ヤマ

'18.11.11. あたご劇場



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