『心と体と』(Testrol Es Lelekrol)
監督 イルディコー・エニェディ

 およそ官能的ではなく、むしろ行に勤しむような態で続くベッドシーンを、老年男エンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)の吐息の反復のなかで観ながら、果てた男のだらんと垂れた不自由な左腕にそっと手を添えて戻していたマーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)の仕草に和み、翌朝に交わされていた本当に何気ないことでの二人の笑いに心安らいだ。人の生活には、やはりこれがなくてはいけない。ほとんど人が笑う姿の出てこない本作において、作り手が一番描きたかったのは、実はこの場面だったのではないかという気がした。

 乳房にさえも濃く色素沈着した部分のまるでない、透き通るほどに白い肌のアレクサンドラが体現していた透明感が素晴らしく、強い印象を残している。とても三十路にあるとは思えないとともに、的確に表現されていた静謐な危うさに心打たれた。とりわけ、潔癖症的な反射から思わず手を引っ込めてしまうマーリアが、何とかエンドレに触れられるようになろうと試みている姿に、モチベーションというものが得られることの人にとっての掛け替えなさを思わずにいられなかった。

 確かにエンドレとマーリアのような同床異夢ならぬ異床同夢という特別な共有体験を重ねてしまうと、社交が苦手で自閉的に過ごしていた二人ならずとも、ある種、運命的なものを覚えるには違いなかろうが、それにしても、奇想天外な着想だと感心させられた。深緑静謐なる森の野生の鹿と食肉処理場で屠畜される家畜の牛との対照も効いていた。また、通常なら互いにその共有を確認し合える機会には恵まれないはずのものが得られる運びに、少々無理筋ながらも工夫が凝らされていて、より深い象徴性を宿らせていたように思う。

 二十八年前に水道橋シネドームで観たイルディコ・エニエディ(僕のなかでの表記はこうなる)の『私の20世紀』['89]は、その年度のマイベストテン第1位に選出しているのに映画日誌を綴り損ねていることもあって、僕のなかでは少々特別な作品で、当時携わっていた自主上映活動のなかで候補作に挙げながらも賛同が得られず、上映が叶えられなかった映画だ。そのまま再見を果たせないでいて、二年前にシネ・ヌーヴォのトイレ改修に係るクラウドファンディングに応じた際に賦与された「名画発掘シリーズ」作品選択権による希望上映作品に挙げていたのだが、その後、久しぶりの新作である本作が公開されると知って、是非とも観たいと願っていた。こちらのほうは、思い掛けなくも叶ったわけだ。作風は、かなり変わっているように感じられたが、画面の持つ牽引力に幻想的な魅力があって、女優の素敵なところには、全く変わりがない。大いに満足した。

 
by ヤマ

'18. 9. 2. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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