『いしぶみ』['16]
監督 是枝裕和

 僕が三人の子供らを連れて広島平和記念資料館を訪ねた三十年前、目の前にある広島二中の慰霊碑のことは知らずにいて訪ねていない。本作の元になった昭和44年版の『碑』のほうも観ていない。だから、比較などできないのだが、広島出身の綾瀬はるかが凛とした声で読み上げる亡くなった中学生の最期の姿を聴きながら、スクリーンに映し出された写真の残っている子や名前だけ記された子、さらには動画にも残っている子の差異を感慨深く眺めていた。恰も、瞬時に亡くなった子もいれば、夜を待たずに亡くなった子、当夜に亡くなった子、翌日亡くなった子、数日生き延びた子、集合場所に行けずに生き延びることのできた子、などに分かれた違いに重なるものとして、何とも言えない神妙な想いが湧いてきたのだった。

 まさしく何か属人的に確たる理由や責があってそうなったというのではなく、偶々、ほんとに偶々そうなっているわけだが、その違いによって最期の迎え方もかなり異なってきていた。いずれの最期も凄惨、悲痛と言う他ないのだが、その姿をこうして言葉にし遺していればこそ、伝え伝わるものがある。

 あれから70年を経た所縁の人たちに対する池上彰のインタビューによる証言を織り込んでいたことが現在性を高めていて印象深かった。とりわけ、資料館に遺品としてのボロボロの国民服が遺されている谷口勲君の兄さんの語る言葉と、英語教師でありながら適性国語だからと音楽教師に転じさせられながらも戦後に備えて密かに英語を教えていたという、被爆時には子供らと入った川の中で♪海ゆかば♪を唄いながら亡くなったとの山本信雄先生の次女の言葉が心に残った。

 ほんとうに、絶対に、繰り返してはならないことだ。
by ヤマ

'18. 8.21. 民権ホール



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