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県文シネマ日和vol.5,6 ヨーロッパ企画20周年記念 サマータイムマシンブルース舞台版・映画版上映会
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一年前に観たヨーロッパ企画第36回公演『出てこようとしてるトロンプルイユ』に続き、本年十月に予定されている『サマータイムマシン・ワンスモア』のプロモーション上映会で、同作が映画化された際の再々上演舞台を記録した舞台版と映画版の連続上映会だ。 初日に観た『サマータイムマシン・ブルース2005』は、ヨーロッパ企画が同志社大学で演劇に取り組んでいた時分の作品らしく、サークル、クラス、ゼミに限らずいかにも大学生の集まりにいそうな面々の、あの年頃に似つかわしい過剰なまでの馬鹿馬鹿しいツッコミとからかいの放射が妙に懐かしく、愉しく観たのだが、二時間というランニングタイムは、僕には少々長過ぎる気もした。 タイムマシンを題材にして戻るのが昨日という話のみみっちさが何ともとぼけていて可笑しいのだが、アフタートークでの作・演出の上田誠の弁に確かにそうだと大いに納得した。うまく逆手に取ったアイデアだと感心。未見の映画作品が楽しみになったのだが、ランニングタイムは舞台と同じく二時間なので、映画版も少々長すぎると感じるかどうかが一大関心事となった。 公演PR上映会で観た『建てましにつぐ建てましポルカ』が思いのほか面白くて、その場で買った前売券で観賞した『出てこようとしてるトロンプルイユ』を観て感じたのは、“次どう来るかを愉しみつつも、少々くどく感じる作劇”というものだった。どうやらこれは、初期の頃からの上田誠の作風のようだと本作を観て思った。大学生だった彼らの十五年後になる続編だという今度の『サマータイムマシン・ワンスモア』は、二時間四十分もの長尺になっているそうだ。この少々癖のあるくどさこそが癖になって嵌っているファンには、まさにたまらない満腹メニューなのだろうし、きっと凝りに凝ってくだらなさを捏ね回しているはずの技の程を観てみたい気もしつつ、少々腰が引ける感じも残った。 翌日観た映画化作品は、ある意味、予想したとおり随分とスマートな仕込みと運びになっていた。舞台版の作・演出を担った上田誠自身による脚本ながら、いろいろな声やアイデアが投影されているのではないかという気がした。同じ舞台装置のなかでの暗転によって昨日と今日を行ったり来たりする舞台劇と違って、映画では場面を変えたり並置したりできるから、殊更に台詞にしなくても分かりやすく提示できるものがたくさんあるし、変化にも富むから自ずとそういう印象がもたらされるのだろう。 ところが、スマートになった分、ヨーロッパ企画らしい“ごちゃごちゃしたくどさ”の醸し出す風味が消えて、妙に物足りない気がしてくる面があることに気づいて意表を突かれた。あの“ごちゃごちゃしたくどさ”による暑苦しさがあってこその“サマータイム”だったのかと思わぬ気づきを得た。舞台版で僕のツボだった“スネ夫ネタ”が出て来なかったのは、ドラえもんの著作権問題だったりするのだろうか。大筋において舞台版も映画版も変わらないなかで、同じセリフを人物を違えて発せさせたり、後先を変えたりしている微妙な違いが興味深かった。 最重要人物とも言うべき曽我(永野宗典)と田村(本多力)を舞台版と同じ配役で臨んでいるのに、SF研の空気がすっかり違って見えるのは、本作の未来のSF研で姿を覗かせていた石田剛太のミスターサマータイムとも言うべき暑苦しい存在感がやはり大きいのだろう。 | ||||||
by ヤマ '18. 8.14~15. 県民文化ホール・グリーン | ||||||
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