第36回公演『出てこようとしてるトロンプルイユ』
ヨーロッパ企画

 前作『来てけつかるべき新世界』のプロモーション上映会で『ビルのゲーツ』を観たときチケットを購入するには至らなかったにもかかわらず、今回の公演のPR上映会で観た『建てましにつぐ建てましポルカ』が思いのほか面白くて、その場で買った前売券で観賞したものだ。

 一つ目巨人のサイクロプスの出現によって繰り返される“出てこようとしてるトロンプルイユ(だまし絵)”の度毎に、次どう来るか愉しみつつも、少々くどかったように感じたのは、おそらく数々湧いたアイデアの取捨選択を作り手が自力では果たせず、絞り込むことができないままに全部盛ってしまい、二時間を超える長尺にしてしまったことによる気がした。

 そこまで延々と繰り返して、最終どう始末をつけるか期待していた部分については、サルバドール・ダリの登場による歪んだ時計で仕舞いを付けるアイデアに感心しつつも、そうすると天才の威を借る感じになるなと思っていたら、引っくり返していたのでニヤリとした。しかし、そのために次の手がなくなったようで、何だか投げ出し感の残る最後になっていた。

 それぞれそれなりに面白いアイデアが詰まってはいたが、モナリザのモデル(西村直子)や修復者(酒井善史)による部分はカットして、娼婦ルルー(川面千晶)とガーゴイル(土佐和成)に絞ったほうが作劇的にはすっきりしたはずだと思った。

 創造物たる絵画を一顧だにしない大家(中川晴樹)と三人の画学生(本多力、諏訪雅、石田剛太)たちの対照、その中間に位置するオペラを愛好するパン職人(木下出)というトライアングルは利いていて、彼らが“出てこようとしてるトロンプルイユ”によって繰り返される共有体験を重ねることで次第に同じ側に与していく姿に意味深長なものを感じた。そういう意味では、アフリカからの留学生ギー(金丸慎太郎)の存在も過剰だったと言えるのかもしれない。画家(永野宗典)自身の登場もさせないほうがトロンプルイユの効果や画家の想いの部分がより際立ったような気がしてならなかった。やはり140分は些か長過ぎる。

 他方で、舞台装置と小道具がなかなか凝っていて大いに見栄えがしたように思う。サイクロプスの登場に際しては額縁のフレームが撓む芸の細かさに感心。各種の“出てこようとしてるトロンプルイユ”の連作もなかなか見事で目を惹いたし、繰り返されるサイクロプスの登場ごとに、重ねられた大判絵画の内容やスクリーンに映じられる巨人の暴虐の絵が変わっていく手筈の周到さに感心した。

 画学生三人や大家、ガーゴイルのキャラクター造形や会話には、独特の可笑しみがあって、なかなか楽しかったように思う。
 
by ヤマ

'17.10.14. 県民文化ホール・グリーン



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