『砂の器』['74]
監督 野村芳太郎

 学校は違ったけれども小学六年時に通っていた学習塾の冬季教室で席を隣り合わせ、同じ中学に入学以来いまなお付き合いのある旧友から公開当時の四十四年前に「おい、『砂の器』を観たか」と問われ、「観たけど」と返すと、「滂沱の涙がとまらんかった」と言われ、そんなデリカシーのある奴だとは思っていなかったから、えらく驚かされた覚えがある。皆が泣く泣くと言われていた評判の作品に、僕は一滴の涙も流れず、多少引け目を感じつつも、そのときの僕の感想は、もちろん悪くない作品だとは思いながらも、ハンセン病を患った父親との放浪の旅で満足に小学校にも行けず、大阪の自転車屋に7歳の頃から住み込みで働き、苦学の末に高校を卒業した者がどうして世界的な作曲家兼ピアニストになれるのか腑に落ちず、話に無理があるように感じていた記憶がある。

 だから、細部に囚われない人々ならまだしも、推理小説が好きで理屈好きの友人に対して、クラシック音楽のファンだとか常日頃言っているくせに、そこのところを不問にしたうえ、僕らが想像すら及ばない貧困と差別に晒された境遇の人々に脳天気に易々と感情移入して“滂沱の涙”まで流すことができてしまうデリカシーに欠けた御目出度さを揶揄したら、「お前には“人の心”というものがない!」などという実にデリカシーに欠けた非難をされたのだった。

 まぁ、痛いところを衝かれたわけでもあるが、十代時分に小説や映画に涙したことなどなかった僕は、その後、生活体験の幅が広がるにつれ、感動の涙というものを経験するに至り、爾来、本作をスクリーン観賞する機会が再び得られることを待っていたようなところがある。だから、本作のデジタル・リマスター版による再映が行なわれた2005年のチラシをファイルに挟み、高知に回って来るのを待っていたのだが、よもや十三年も掛かるとは思っていなかった。

 四十四年ぶりにスクリーン観賞した『砂の器』は、オープニングクレジットに加藤健一の名を見つけ、「どこに出ていたっけ」と思いながら観ると、ジープで今西刑事(丹波哲郎)を亀嵩に案内する巡査だったことが確認できたり、折しも『北の桜守』で観たばかりのリアリティのない1971年とは全く異なる昭和46年(1971年)をありありと映し出していたことに思わず頷いてみたり、クラブのホステス高木理恵子を演じた島田陽子にヌード場面があって、和賀英良(加藤剛)との結婚を望んでいる前大蔵大臣(佐分利信)の娘田所佐知子を演じた山口果林にそのような場面がないことに関して、当時配役が入れ替わっていないことに感心したり等々、興味が尽きなかった。そして、テーマ曲であるピアノと管弦楽のための組曲「宿命」は名曲だけれども、それ以上に和賀の回想と今西の捜査会議での説明を織り込んだ編集と構成の巧さに、公開当時よりも遥かに感心していた。だが、やはり涙を流すに至らなかったのは、公開当時に引っ掛かったものと同じものを感じたからだろう。

 原作小説の設定にあるらしい前衛作曲家兼シンセサイザー奏者ということならまだしも、世界的な注目を浴びている作曲家兼ピアニストとして、ピアノと管弦楽のための組曲を作曲し演奏し指揮するというのは、やはり違和感があった。とはいえ、この曲とこの編集映像なくして、本作が日本映画史に残る今日の名声を得たとは、とうてい思えないわけで、この設定あってこその映画『砂の器』なのだ。

 また、いくら事情があったにせよ、和賀の理恵子に対する向かい方や三木元巡査(緒形拳)殺害の手口が粗忽に過ぎるような気がしてならず、何よりも、本浦秀夫とは子供の時分に別れたきりで、本浦千代吉(加藤 嘉)と二十四年間文通を続けている間もその消息を知らず、ましてや秀夫が和賀英良との変名で成功していることも知らないままに、三木元巡査が、三十年後の姿を写真で観ただけで声すら聞くこともなく本浦秀夫であることを見抜いてしまうことの不自然さが、無理筋として残る気がしてならなかった。もし、浜村純の演じていた巡査と揉めた際に秀夫が額に負った大きな傷が長じた後の和賀英良の額にもくっきりと残っている写真を三木元巡査が観たという運びになっていたなら、その部分についての僕の違和感は生じなかったのかもしれないが、元大蔵大臣父娘との集合写真だとそこまで見えないはずだし、何より和賀を演じていた加藤剛にそのような傷は、残っていなかった気がする。

 昭和12年生れの秀夫が昭和17年に父親と放浪の旅を始め、昭和19年には大阪の和賀家に入りこみ、大阪大空襲後の昭和23年に和賀英良の戸籍を手に入れたとするならば、そういうことになるのではなかろうか。もっとも、巡査と揉めて思わぬ怪我を負った秀夫のアップを撮った場面で、不自然なまでの大きな傷を額にくっきりと付けていたように思うから、それは加藤剛の顔に傷を付けられなかったことへのイクスキューズだったのかもしれない。当時の加藤剛は名うての二枚目俳優で、さすがの野村監督も、清純派で通っていた島田陽子を脱がすことはできても彼の顔に傷をつけることができなかったような気もする。ともあれ、本作においては、作り手が悪者なき悲劇として、犯人を犠牲者に位置づけて描こうとしていたから、些か不自然にも感じられる部分が生じたのだろう。秀夫の額の傷と同様に、そういった疵を作品から消し去るだけの力が多くの観客に対して働いたわけだから、組曲「宿命」の演奏場面は、やはり見事なものだ。

 映画を観終えて表に出ると、GW特別ライブとして劇場前スペースで映画館主催の音楽ライブが設えられており、振舞い酒ならぬ振舞い乳として高知産ヤギミルクの試飲もあった。古川ひろみのギター弾き語りの歌は三曲ばかりだったけれど、声質がよく、五月晴れによく似合っていて、何だかとても気持ちがよかった。

 
by ヤマ

'18. 5. 3. ウィークエンドキネマM



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