『北の桜守』
監督 滝田洋二郎

 本編が始まる前に、本作は史実に基づくフィクションであるという断り書きがクレジットされたように思うが、この作品における事実の部分というのは、1945年の日本敗戦と1971年が札幌オリンピック前夜であること以外のどの部分だったのだろうか。

 トワエモアの歌う虹と雪のバラードが好きだった僕は、1976年に上京して東京では夜11時まで開けている店があるのかと、初めて見るコンビニに驚いた覚えがあるが、コンビニがおにぎりを売り出すのは、どう考えても札幌オリンピック以前だとは思えないけれども、札幌には1971年におにぎりを売る24時間営業のコンビニが出現していたのだろうか。僕は1945年当時をリアルタイムで経験していないけれども、1971年なら中学生だったから、リアルタイムで経験しているのだが、どうにも時代感覚に違和感が拭えなかった。

 また、行方不明となった江蓮てつ(吉永小百合)を探すための貼紙に64歳とあったが、少なくとも1971年に札幌に出てきてから後の時点で64歳だったのなら、敗戦年となった樺太での桜の記念写真を撮った1945年時点では18歳以下だということになり、その時点で、将来を嘱望される優秀な清太郎と、彼から少し劣るだけと慰められる弟の修二郎という小学生と思しき子供が二人もいることになる。二人ともが実子だとするならば、いくつのときの子供なのだろう。

 さらには、てつと彼女の夫である徳次郎(阿部寛)には、生涯掛けても償いきれない負い目があると語る山岡(岸部一徳)は、シベリアに抑留されながら同時に、樺太からの引き上げ後に北海道でヤミ米摘発の警察用務にも従事していたという全く以てアンビリーバブルな経歴の持ち主になってしまう。

 こういった事々にまるで無頓着な作り手に「史実」に触れるようなドラマを作る資格はないように思うのだが、東映作品にしては異例のロングランをTOHOシネマズ高知で続けている本作に、そういった疑問を呈するのは野暮なのかもしれない。

 思えば、てつの世話の甲斐あって初めて樺太で花を咲かせた桜の記念撮影から始まったオープニングに対し「吉永小百合の年齢にこの配役はいくら何でも」との反応に手立てを講じるかのように、舞台劇に置き換えた場面転換をしていたが、確かに“象徴性と見立て”に重きを置く舞台演出では、実写性を重視する映画と違って、実年齢と懸け離れた役どころをこなすことは珍しくもなく、舞台装置そのものも、リアリズムとは一線を画したものが造形されることのほうが多いように思う。本作もそういうものだと観てくれということだったのだろう。それにしてもなぁ・・・(笑)。北の零年『北のカナリアたち』も観ているし、異例のロングランだし、ということで足を運んだが、なかなかの珍品だったように思う。監督はそれぞれ異なりながらも、脚本は一貫して那須真知子なのだが、『北の零年』の感銘には及びもつかなかった気がする。

 
by ヤマ

'18. 4.30. TOHOシネマズ2



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