『チョコレートケーキと法隆寺』
監督 向井啓太

 養護施設で育った当事者が同じく施設で過ごした思い出深い人々を青年になって後に訪ねると共に、施設で育つことについて想いを巡らせ、家族の問題に向かうという、かなり希少なドキュメンタリー作品だった。作り手が当事者であるという希少性もさることながら、本作に登場した聖矢、陽介、智美に比しても、向井啓太の育ちというのは非常に珍しいものであるように感じた。単に、多くの子供たちが18歳での退所まで過ごすなかで、自らの意思によって中学進学時に退所を果たしたということだけではなく、本作を撮った時点では、慶応大学の研究室に所属していたようだから、かなり特異な存在なのだろう。

 作り手のモノローグで語られた思索に関してもそういった個性が明瞭に反映されていて、非常に興味深かった。母親亡き後、弟妹がいたなかで何故、彼だけが養護施設にやられたのかは不明だったが、その施設体験も含め、一口に「施設育ち」などという言葉で一括りにできるものではないことを、友人たちや彼が想いを残していた井上先生との対話のなかで、鮮やかに浮かび上がらせていたように思う。

 個々人にとっての事実が全体総てを語るものでは決してないのは、何も養護施設にまつわるエピソードに限らず、いかなる領域においても言えることなのだが、ある種の特殊性を認められがちな領域ほど部分が全体を語るものと混同されやすいきらいがあるように思う。本作もその点に留意する必要があって、本作に登場した聖矢、陽介、智美、啓太らを施設育ちなどという言葉の元にある典型などと受け取るべきではないように、その経験もまた、施設暮らしなどという言葉で一口に括ってはならないものだという気がした。そのことと、彼らが施設で過ごした生活が彼ら個々人においての真実であることとは、全く矛盾しないものだと思う。

 二十年近く前に観たファザーレス 父なき時代を想起させるような生々しさがあったが、そのテイストは、同作の持っていたパワフルさとは対照的な知的な冷静さだったように思う。そのうえでやはり当事者による作品ならではのインパクトがあった。僕が最も気を引かれた部分は、養護施設のことではなく、啓太の父子関係だったのだけれども、そこのところは、今一つ掴めていない感じを抱いたのは、僕が『ファザーレス 父なき時代』を想起したからなのかもしれない。

 
by ヤマ

'18. 3.27. 民権ホール



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