『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』(The Ides Of March)['11]
監督 ジョージ・クルーニー

 公開当時、高知では上映がないながらも気になっていた作品なのだが、なんとも嫌な世界だ。こういう映画を観ると、選挙という制度にこそ問題があるように思えてくるが、さりとてこれに替わる強大権力付与制度の望ましい形の見当がつかない。そのなかで出来得ることと言えば、候補者やその陣営及び支援者が選挙に投じることのできる経費の総額に上限を課すことくらいかと思うが、選挙自体が既にビジネス化していて利権構造で固められ、その利権を守ろうとする勢力が強大になっているなかでは、その解体は絶望的だ。

 また、投じられるカネの制限を果たしたとしても、カネではない“引き”による腐敗はおそらく排除できないだろうし、強大権力という“必要悪”を社会制度としてどういう手続きによって担わせることが最も望ましいのかは、人間社会に尽きせぬ課題と言うほかない。

 それにしても「勝つことが最優先」に堕した謀略、駆け引き、暴き立ての交錯する世界のなんと不快なことか。先日ハンナ・アーレントを観た際に、「悪より弱のほうがタチが悪い」と記したが、本作においても明々白々な悪が登場することなく、弱の引き起こす醜と臭が満ちていた気がする。

 立場的な力関係において弱者の側に回ると縋るように持ち出されていた“フレンド”という、「勝つことが最優先」という価値観の対照にある言葉が印象深く使われていた。何者かのリークによって窮地に追い込まれたスティーヴン(ライアン・ゴズリング)がタイムズ紙記者のアイダ(マリサ・トメイ)に「友達じゃないか、そんなガセネタを信用するのか」と振り向けた言葉に対して、冷たいあしらいを加えた彼女が、モリス知事(ジョージ・クルーニー)の選挙参謀ポール(フィリップ・シーモア・ホフマン)の失職によってきたした、社内での信用力低下を受けてスティーヴンに同じ言葉で摺り寄り、「そうだ、ベストフレンドだ」と冷たく返されるラストが利いていた。

 力関係に弱いのは、人間の業のようなものなのかもしれないが、何とも哀しい。それにしても、ポールのスティーヴンの切り方にしても、500ドルばかりのカネを選挙資金から流用したり、モリー(エヴァン・レイチェル・ウッド)にやすやすと手を出してしまうスティーヴンや彼に弱みを握られる知事にしても、あまりに脇が甘いというか、迂闊な気がしてならなかったが、何と言ってもクリントン大統領の実例があるだけに、現実感がないとは言えないことに苦笑した。

 戦略家として長けていたのは、民主党内の相手方陣営の選挙参謀ダフィー(ポール・ジアマッティ)と、取引のタイミングを巧妙に見計らって最高位の密約を得ていたトンプソン上院議員(ジェフリー・ライト)だけだったような気がするが、ああいう連中にはなりたくないものだと思わずにいられなかった。

 
by ヤマ

'18. 8. 4. BSプレミアム録画



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