辺境音楽映画 FES

『炎のジプシーブラス 地図にない村から
 (Brass On Fire)['02]
監督 ラルフ・マルシャレック
『遊牧のチャラパルタ』(Nomadak Tx)['06] 監督 ラウル・デ・ラ・フエンテ
『ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡
 (Benda Bilili)['10]
監督 ルノー・バレ&
 フローラン・ドラ・テュライ

 前日に聴講したアートマネージメント講座で「アートにできること」「アートでできること」といったことについて想いを馳せたせいもあるのだろうが、これぞまさしく「音楽にできること」「音楽でできること」について雄弁に語っているドキュメンタリーだと思った。

 最初に観た『遊牧のチャラパルタ』は、スペインのバスク地方の伝統楽器ながら、一時は奏者が4人しかいなくなっていたとのチャラパルタを復興させた「オレカTX」の二人が、世界各地の同じノマド(遊牧民)のミュージシャンを訪ねてセッションを行う旅を追ったスペイン作品だった。十年前に高知でも上映されながら観逃しているアメリカ映画『ジプシー・キャラバン』['06]に登場しているのは、手元に残っているチラシによればスペイン、ルーマニア、マケドニア、インドのミュージシャンだが、本作は“辺境地域のミュージシャンが北米での演奏ツァーを行う旅”とは違って、スペインのノマドがインド、北極圏、サハラ、モンゴルといった辺境地域を訪ねて、現地でセッションを行なうところがいい。本来は木材で作るチャラパルタを、北極圏では氷を削って作ったり、モロッコでは石で作ったりもしていたのが興味深かった。スマホを使った音叉のようなもので調律しながら作っていたチャラパルタは、もう少し木片を増やせば木琴のような音階楽器になるはずなのだが、そこまではせずにあくまで打楽器として使用しているところが面白かった。音楽の原点は、やはりメロディではなく、リズムなのだと改めて思う。

 また、各地でのセッションでは楽器の部分以上に民謡とのセッションに妙味を感じた。北極圏のサーミ人から音楽フェスで知り合ったというモンゴルのミュージシャンを紹介されたりしている場面や、辺境地域と言えどもモータリゼーションが及んでいてガソリン車の姿を見ない土地がないことにも、改めて感慨を覚えた。併せて、辺境地域に暮すノマドの抱えている戦争や紛争にまつわる苦難が垣間見えたりして、なかなか触発してくれるものの多い秀作だったように思う。

 かねてより「スポーツ外交」という言葉があるけれど、交流には音楽のほうが優れているような気がする。西サハラのベルベル人女性が語っていた四十年以上願っているとの独立問題や、モンゴルのツァータン族の男性が語っていた「モンゴルが世界で最後のノマドの国になるのか、そのうち世界中がモンゴルのようなノマドの国になる日がくるのか」といった言葉が心に残った。


 午後から観た『ベンダ・ビリリ』『炎のジプシーブラス』は、ともに辺境音楽の埋もれていた才能が欧州からの発掘というかアートマネージメントによって国際舞台に出て行く話だったように思う。そういう意味では同じような素材の音楽ドキュメンタリーながら、これほど文体が異なってくるかと思える対照が、プログラミングの妙味として実に利いてくるセレクションになっていたような気がする。

 前者では、スタッフ・ベンダ・ビリリのパパ・リッキーのリーダー資質の高さに感心した。リンガラ語で「外側を剥ぎ取れ=内面を見よ」という意味らしい“ベンダ・ビリリ”と名付けたのも、障碍者キャンプ暮らしのパパ・リッキーだったのだろう。大したものだと思う。彼がいなければロジェの人生は…と思うと同時に、ロジェの空き缶一弦琴の響きのあるなしは、スタッフ・ベンダ・ビリリの音楽に大きな影響を及ぼしているように感じた。音楽的にはココが中心になっているらしいのだが、そういう意味でもグループとしてのバランスがとてもいいように感じられた。フランスでのコンサート場面に最も感銘を受けたのだが、七年前の高知での上映を観逃していたことをカヴァーできて、改めて嬉しく思った。

 コンゴのスタッフ・ベンダ・ビリリを世に出したのがフランス人なら、後者のルーマニアの地図にない村のブラスバンドであったファンファーレ・チォカリーアを発掘したのはドイツの若者だったようだ。彼らの演奏は、クストリッツァの映画で僕も聞き覚えがあったが、最もイカしたライブが日本公演だったように感じられたのが妙に嬉しかった。

 午前に観た『遊牧のチャラパルタ』で、演奏に使った氷のチャラパルタを水面に張った氷に穴をあけて水の中に返していた場面を想起させるように、湖のなかから壊れたホルンを引き上げる少年のエピソードから始まる構成は、日本でドキュメンタリーとみなされる映画のスタイルからすれば論外のものだが、そのエンディングとも相俟って、本作の主題を象徴的に表現していたように思う。世界の音楽市場からすれば、ファンファーレ・チォカリーアこそが、まさに湖の底でみすぼらしく眠っていたような存在だったわけだ。そして、彼らが世に出たことで、その音楽を慕って加わりたいと願う次世代が生まれてきているエンディングだった。こういう発掘と継承が「音楽でできること」なのだろう。だが、それ以上に凄いのは、異文化交流どころか、文化圏を越えてまさしく家族そのものにしてしまっていたことで、それこそが「音楽にできること」だった。とてもいいプログラムを見せてもらった気がする。




推薦テクスト:「ゴトゴトシネマ」より
https://www.facebook.com/events/570892759956099/permalink/612506525794722/
by ヤマ

'18. 7. 1. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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