『女神の見えざる手』(Miss Sloane)
監督 ジョン・マッデン

 パワーゲームは、それがガチンコ勝負なれば、観ている分にはスリリングで面白いけれども、プレーヤーになるのは、たとえ勝ったとしても損ない消耗するものが半端じゃないから御免蒙りたいものだと思わせるに足る迫真性があって、大いに観応えがあった。筋書的には、スーパー・ロビイストのリズ・スローン(ジェシカ・チャステイン)ほどの者が何ゆえに弁護士の助言に関わらずも公聴会を仕切るスパーリング上院議員(ジョン・リスゴー)の挑発に易々と乗ってしまい、米国憲法修正第5条による証言拒否権を放棄して「ようこそ、パーティーへ」と言わせてしまうのかという引っ掛かりをきっちりと回収していた顛末が実に鮮やかで、保身から大手ロビー会社“コール=クラヴィッツ&W”に残っていたジェーン(アリソン・ピル)が上司のコナーズ(マイケル・スタールバーグ)に「今がそのときです」と告げていた時点では気づきもしていなかった僕は、大いに感心した。

 自分のキャリア潰しのために個人攻撃を容赦なく仕掛けてくることも察知していたリズが、なにゆえ高級男娼買いを止められなかったのかについては、男女問わずこの領域ばかりはと了解するほかないのだが、それだけストレスフルな業界であると同時に、そこで才覚を発揮するには精力旺盛な者でないと適わないということなのだろう。それにしても、公聴会の場で思わぬガッツを見せていたフォード(ジェイク・レイシー)の見せ場としては少々取って付けたような感が湧いた。しかし、美辞麗句で飾りながらも内実は己が野心と保身しか考えていない政治家を始めとするパワーゲームのプレイヤーたちとは、社会的ステイタスのみならず全ての点において正反対の“真の男”を配して際立たせたかったのだろう。ジェイク・レイシーがそれに足る存在感を発揮していたように思う。

 銃規制法案を巡るロビー活動に対して、リズが何ゆえにあそこまでの捨て身の大勝負に打って出たのかについては、彼女の語っていた“チャレンジ性”だけでは得心がいかない向きも多かろうが、三十年余り前に観た麻雀放浪記(監督 和田誠)の日誌に綴った“本物の勝負師”に通じるものをリズに感じた僕には、それに加えて、おそらくはリズのチームにいたエズメ・マヌチャリアン(ググ・バサ=ロー)と同じ過去を抱えていたに違いないと察することで納得がいくように感じられた。むしろ、そういう過去があってこそ“命を奪うのでなければ勝負に勝つためにはいかなる手段を講じても構わない”という非情なまでに怜悧な破格の人物造形に説得力が備わるような気がする。エズメの見舞われた危機に際してリズの見せていた動揺からもそう解するのが妥当なところだろう。複雑で謎めいたキャラクター造形を巧みに果たしていたジェシカ・チャステインが見事だった。

 折しもアメリカでは、先月24日に銃規制を求める80万人デモという空前の出来事が起こったばかりで、実にタイムリーな観賞となった。前日に観たレッド・スパローのドミニカも本作のリズも、ともにタフでパワフルで頭の切れるスーパーレディだったが、映画を観終えてのカタルシスが比較にならないのは、エンタメ作品としての充実を追求しながらも本作が宿していた“社会に対する志”の違いにあったような気がする。

 
by ヤマ

'18. 4. 8. あたご劇場



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