『東京ウィンドオーケストラ』
監督 坂下雄一郎

 あろうことか「ィ」と「イ」の違いで著名な吹奏楽楽団と間違えてアマチュア市民楽団に出演交渉したまま出演料も前金で支払って公演当日を迎えるなどという設定や展開のあり得ない非常識さはまだしも、田舎の住民や自治体、音楽愛好者を馬鹿にしているとしか思えない描き方が不愉快だった。誰ひとり聴衆、島民のことを考えている者がいない。「説明させてください」と杉崎団長(星野恵亮)が言っていた相手は会場に集まってくれた聴衆ではなかったのかと唖然としてしまった。

 役場で島民への払い戻しのことに関する話が出ないことも含めて、作り手に聴衆、島民に対する目線が全くないことが如実に表れていた気がする。まさしく、遣り逃げのようにしてでもホール・ステージでの演奏をしてみたかったというアマチュア表現者の想いだけに与していると言える作り手の監督・脚本による、アマチュア楽団に自身を投影しただけのような作品にゲンナリした。

 そういうところにきちんとダメ出しをするのがプロデューサーの役割で、それもしないで、作家主義とワークショップによる俳優発掘を標榜する“松竹ブロードキャスティングオリジナル映画プロジェクト”第3弾というのでは、あまりに御粗末ではないかと思わずにいられない。

 音楽センスまるでなしの役場課長(松木大輔)を徹底的に小馬鹿にすることに作劇上なんら異論はないが、団長が客席に向けて何も説明することなく1曲演奏したところで、舞台袖より追ってきた課長から慌てて逃げ出していった東京ウインドオーケストラに対して、客席からは拍手が送られる演出を施した作り手のなかにあった拍手の意味は何だったのだろう。舞台裏で起こっていたことに何も気づいていない表の有様との差異を笑いにしたつもりなのだろうか。しかしそれでは、島の中学生吹奏楽部よりも技量が劣ると団員たち自らが認めている演奏者への客席から拍手は、課長同様に作中の台詞にもあった“演奏の出来など区別できやしない田舎者”の証として描くことになってしまう。

 それを承知のうえで敢えて確信的に笑ったのか、或いは、どんなに不味い演奏であってもステージ退出者には拍手を以て送り出す“田舎の人たちの優しさと純朴”の証として描いていたのか、全く分からなかった。おそらく、そのどちらも意図していない只の拍手なのだろうが、無自覚にそうすると、自ずと前者になってしまうことに無頓着なところが嘆かわしい。

 また、団長に敢えて「説明させてください」と言わせておきながら客席に向かって説明せずに演奏させることは、あったものの省略という言い訳では済ませられない重要事で、そこを映し出さなければ、誤ってオファーした楽団に演奏させないようにしていた課長に対して、立派なステージで演奏してみたい自分たちの思いを説明したいと言っていたことに過ぎなくなってしまう。いかなアマチュア楽団といえど、聴衆に対してそこまで不遜で無頓着ではないはずで、そんな姿を描き出すのは、音楽を愛好する演奏家たちを馬鹿にしていることになり、失礼極まりない話だ。

 東京ウィンドオーケストラの招聘を念願としていた企画発案者の職員(小市慢太郎)が「練習して上手になってまた来てくださいね」との優しい言葉をかけるにはそれに足るだけの顛末が必要なのであって、それも抜きにかような台詞を言わせることで田舎者の人の好さを描いているなどというのは、またまた田舎者を馬鹿にしているとしか思えない狼藉だという気がした。実に不埒な作品だ。
 
by ヤマ

'17.10.15. 自由民権記念館・民権ホール



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