『宇宙戦隊キュウレンジャー THE MOVIE ゲース・インダベーの逆襲
『劇場版 仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング
監督 柴崎貴行
監督 中澤祥次郎

 先に観た『宇宙戦隊キュウレンジャー』は、もはや原作:八手三郎とクレジットされることに違和感を覚えるほど、むかしの戦隊ものとは様変わりしていた。まさに関連グッズ販促番組としてのみ製作されるべく堕落した姿の極北を観たような気がする。戦隊ヒーローの数がキューレンジャーの9を超え、12星座になろうとしていた。敵の数を圧倒する多人数で襲い掛かる戦隊ものとなれば、せめて図体は敵のほうが大きいというのがお約束のはずなどと思う僕の感覚を、古いという言葉で済まされたくない気がした。等身の3人の敵キャラクター相手に10人がかりで襲い掛かる姿は、やはり格好悪い。

 また、ヒーローたちのくせに、やたらと言葉遣いが悪く、へんに凄むし、野次る。戦闘場面でなくてもヤンキー言葉まるだしで、「ぜってぇ諦めねぇ」と威勢だけで策もなく行き当たりばったりで事を為そうとするヒーローたちに情けなくなった。そのリーダー、シシレッドの名前がなんとまぁ、ラッキー(岐洲匠)などという悪い冗談のような有様に眩暈がした。おまけに彼らが何かと言えば繰り出す言葉が「取り戻す」だの「守る」だのという始末で、なんだか余りにも今の政界そっくりで呆然としてしまう。

 まさか、ホントにまさかだけれども、今のヒーロー像はこれだと政界の方々が戦隊ヒーローもので学習していたりしていないのか、不安になってしまった。たまたま路傍で拾ったような情報に地球の運命を託すような作戦行動を運試しのようにして行い、なんともラッキーなことに結果だけ拾ってくる連中を、幼い子供たちが本当にヒーローだと思ったり、かっこいいと思ったりするのではないかと少々気が塞いだ。

 続いて観た『劇場版 仮面ライダーエグゼイド』もまた、もはや原作:石ノ森章太郎とクレジットされることに違和感を覚える作品だった。よくキャラクターを知らない僕が観ると、どれがライダーたちで、どれが敵方なのか、見た目ではほとんど区別ができない始末だ。おまけに仮面ライダーのヒーローたちが皆揃ってイケメンの医者だったりする設定に、子どもたちよりもその母親をターゲットにしている商魂の品の無さを感じて哀しくなった。話もヘンに込み入っていてオタク臭が漂っている。僕が小学校を卒業した頃に始まった仮面ライダーの末裔がこれかと半世紀の時の経過における堕落ぶりに憤然とした。

 こういった傾向は、いま突如として現れているものではなく、今や6人の孫持ちになっている僕が幼い我が子たちと子供向けとされるアニメーション作品や特撮映画を観に行っていた時分からベクトル的には示されていて、僕らが子供だった時分に始まったウルトラマンやアニメーションヒーローたちが内在させていた社会性や内省的なものが薄れ、やたら思いの強さの部分を称揚するばかりでその中身のほうがどんどん薄っぺらくなっていた気がする。ともだち、なかま、が強調され、勇気がもっぱら戦いに置かれ、戦う相手に対する考察が皆無のままの怪物ないしは絶対悪として登場するようになる傾向にあった気がする。まさに今、ネトウヨと称されている一群に顕著に窺えるメンタリーティの源泉のような気がしなくもなく、内閣すらお友達ファーストで組閣運営されることに違和感を覚えないどころか積極的に支持する人々を生み出したのではないかとさえ思えてくる。

 この先、戦隊もの、ヒーローものは、どのようになっていくのだろう。何だか空恐ろしい気がする。教科書などよりもはるかに影響力があるのではなかろうか。
 
by ヤマ

'17. 8. 7. TOHOシネマズ3



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