『花戦さ』
監督 篠原哲雄

 心ならずも池坊の執行の任に就いていた専好(野村萬斎)の言う“身軽で頭がいい”ということにおいて稀代の人物であった秀吉(市川猿之助)においてさえ、いわゆる“1強”の権力を手中にするとあせり、いばり、うかれ、えこひいきし、おごるようになるわけだ。だから、現首相ごときがそうなるのは言わば必然であり、最も排除しなければならないのは、かかる小人物その者以上に、かような状況を招く“1強”を作り出す制度そのものだと改めて思った。

 また時節柄、現代の利休(佐藤浩市)や専好、前田利家(佐々木蔵之介)は誰かということや、猿の絵師の娘を見かけたけれども放置していいのかなどと言い上げる三成(吉田栄作)に相当するのは誰かということを想起させずにはおかないタイムリーな作品になっていたように思う。

 利休や利家のみならず秀吉の顔さえ記憶していない人物造形を専好に施すことで、エスタブリッシュメントの世界において何よりも重要なものが社交であることを戯画的に強調している点もまた、昨今の目に余る“お友達厚遇”を揶揄している気がしてほくそ笑んだ。

 勅使河原宏監督の利休を観たのは、三十年近く前になる。そのとき利休を演じていたのが三國連太郎で、今回は息子の佐藤浩市だったことに隔世の感を覚えた。梅の使い方といい、秀吉の来訪に向けて庭の満開の朝顔を総て摘み取った上での一輪の朝顔の場面といい、本作が『利休』を踏まえているのは間違いない気がした。そして、利休に“朝顔一輪”の侘び数寄を導いたのが専好であるという趣向になっていた。なかなか面白かった。
 
by ヤマ

'17. 6.26. TOHOシネマズ1



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