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『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(Dancer) | |||||
監督 スティーヴン・カンター
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イギリスのロイヤル・バレエ団で史上最年少となる十代でのプリンシパルという偉業を為して、“ヌレエフの再来”とまで言われているらしいセルゲイ・ポルーニンのことを僕は全く知らなかったのだが、全身何か所ものタトゥーまみれの異色のダンサーながら、確かにある種のカリスマ性を備えた傑出したダンサーだと思った。 三世代家族からの期待と献身を一身に浴びて、幼少の時分から歪なまでにバレエ漬けで過ごしてきたゆえの、純粋さと幼さが未熟とも魅力とも映ってきていたように思う。年若くも浮沈の激しいキャリアと組織に順応できないパーソナリティの脆さを抱えながらも、目に映る部分において些かも荒みの感じられない繊細さを保っていることにも稀有なるものを感じた。 ウクライナ生まれのセルゲイの並外れたバレエの才に向けた家族の協力一致が、裕福ではないなかで首都キエフのバレエアカデミーに通わせる学費捻出のための父親のスペイン出稼ぎと祖母のギリシャ出稼ぎという形で生まれる一方、その才の並外れ方が破格であったためにイギリス留学までさせる無理を重ねたことでの家族崩壊があり、さらにはその破格の程度がずば抜けていたために再び家族の絆を取り戻させるに至っているらしき姿を観ながら、才能開花に要する費用やら成功によるリターンのこと、さぞや強かったであろう熱情とストレスに想いが及んで圧倒された。そして、本作では生々しさを避けて窺わせるに留めていたポルーニン家の人々の見舞われたネガティヴな部分をドラマとして彫り込んだ劇映画が、後世において製作されることになるような気がしてならなかった。 そのとき焦点を当てられるのは、やはり母子関係に他ならないように思う。殆ど“いわゆる一卵性母子”とも言えそうだったに違いない関係ゆえに、英語も話せない幼いセルゲイをイギリスに一人留学させたことで母親が味わった喪失感のなかで何が具体的に起こったのか、また、家族全員の期待と献身を背負い、それに応えようとすることで家族の絆の核となっている自負が支えだったと思しきセルゲイが家族崩壊によって味わった喪失感のなかで何が具体的に起こったのか、そのあたりを観たいように思った。優雅に華麗に宙を舞うダンスには馴染まないような毒々しいまでのタトゥーや薬物常習歴が、若きセルゲイの身に起こった出来事の凄まじさを物語っていると同時に、それらを越え、タトゥーをファンデーションで塗り隠してステージに立つことを求められるだけの才能の傑出があり、演目によっては刻まれたタトゥーを晒すことで醸し出す異様な力を発揮したりもしていた。それらを含めて、やはり稀有なるダンサーであることは間違いないと思った。 しかし、ドキュメンタリーフィルムに登場した人物像として最も目を惹き、僕が興味深かったのは、セルゲイの父親のキャラクターだった。幼い息子の学費稼ぎに独りスペインまで行って働いていたら、妻側の原因で離婚となった挙句、愛息の父親役の部分は息子の才能に魅せられたダンス教師に取って代わられ、家族のなかでの存在感が著しく希薄になっていっていたことが察せられる彼の窺わせていた鷹揚と忍耐強さというのは、どこから出て来ていたものなのだろう。 | |||||
by ヤマ '17.12. 6. ウィークエンドキネマM | |||||
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