『ザ・サークル』(The Circle)
監督 ジェームズ・ポンソルト

 ライブ画像ではないもののストリートビューを保有する“グーグル”にも似た“サークル”というSNSの名称は、そのメンバーをサークラーと呼ぶ閉じられた覇権体質を象徴していて、なかなか巧いタイトルだと思った。僕が今アカウントを持っているSNSは、mixiとfacebookの2つだが、ほぼ毎日ネットにアクセスするユーザーの持っているアカウント数というのは、平均してどのくらいあるのだろうか。そして、そのうちずっと使い続けているアカウントがどれだけあるのだろう。そんなことをふと思った。

 自分のネットコミュニケーションとの関わりを振り返ると、'90年代中頃にパソコン通信に誘われながらも嵌まり込むことへの懸念から拒んだものの、'99年に娘の求めに応じてインターネット環境を整えた際に各所の掲示板への書き込みを通じて味を占め、ネットで知り合った方にHP間借り人の映画日誌を '00年に開設してもらい、自身の掲示板の管理人を務めるようになってからは、オンオフ問わず幅広い交流を楽しむようになった。しかし、己がHPの掲示板も '11年3月末で閉鎖しているように、当時僕が交流していた掲示板のほとんどは既になくなっているし、その後、ブログからSNSに交流の場が変遷するなかで、僕もブログへの移行の誘い、mixi、twitter、facebook、line などへの誘いを友人たちから受けるなかでネットコミュニケーションの流行の推移を自分なりに見てきた。ネット民の気まぐれと飽きっぽさと共にある深入りや偏執性を知らないわけではない。

 だから、経営トップのイーモン・ベイリー(トム・ハンクス)が社員に浸透させ煽っていた“コンプリーション”には、あまり現実感はないものの、過剰にカメラが配され、一般人が無軌道な捜索に奔走する衆人環視による監視社会には妙に、リアリティがあった。ポケモンGOのターゲットが逃亡犯やメイ(エマ・ワトソン)の疎遠になった元恋人に替わっただけの狂奔のように見えたのだ。なにも世界中の登録者のコンプリーションが果たせなくても、メイがデモンストレーションしてみせたように充分起こり得るのは、時効目前のTV公開捜査によって犯人逮捕が行なわれたりすることからも容易に察せられることのように感じた。

 ツールを製作し煽る者が悪なのか、扇動される愚者が悪なのかは、鶏が先か卵が先かのような相関性にあって一概には言えないけれども、本作で示されたような“個人が丸裸にされる社会”は御免蒙りたい。ほぼ毎日SNSにアクセスするようなネットライフを送りつつも、僕がスマホもケータイも所持することを拒んでいる一番の理由はそこにあり、ケータイからではなくともビッグデータ提供の一助となるのが癪で、アマゾンなどのネット通販の利用も避けている。それによって逃している利便やチャンスはあるのかもしれないが、生活を営むうえでの目立った支障は特にないのもまた事実だ。

 メイの両親(ビル・パクストン&グレン・ヘドリー)の件は些か極端な事例だとしても、本作は、守られるべきプライヴァシーが不用意や興味本位によって暴き立てられる一方で、開示されるべき公の利益に直結する情報が無理筋によってでも秘匿されるアンバランスというか、情報制御に係る弱者と強者の格差の乖離が富の格差とシンクロする形で顕著になってきている今の時代に即したエンターテイメント作品だと思った。

 そして、社会と個人の関係をひどく危うく悲観的に描いている一方で、メイと両親や、メイとアニー(カレン・ギラン)といった個人と個人の関係については、危機を乗り越える絆の深さを楽天的なまでに力強く描いている点が、エンタメ作品に相応しい心地好さとして映ってきていたような気がする。  
by ヤマ

'17.11.28. TOHOシネマズ3



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>