『侯爵サド』を読んで
藤本ひとみ 著<文藝春秋 単行本>


 劇団シアターホリックの松島寛和が昨年春の演劇祭KOCHI 2017観劇ラリー参加作品に三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を取り上げてなかなか観応えのある舞台にしていた上に、秋には自作の孤独、あるいはマルキドサドに学ぶ幸せな人生の過ごし方を披露したところへもって、三島由紀夫原作の外国映画午後の曳航をほぼ四十年ぶりに再見する機会を得て、大いに触発されたこともあって手にした小説だ。

 奇しくも『午後の曳航』と同じく猫殺しが柔らかく温かかった子猫、自分の指の下ではっきりと鼓動を刻んでいたいたいけな心臓。昨日、料理人が研いだばかりの小刀。薄茶色の体毛の間にひっそりと口を開けていた肉色の性器。その中に小刀を突き立てた時の自分の胸の熱さ、肉を裂いて進む刃の重い手ごたえ、腕に食い込んだ猫の三日月型の爪先(第十二章 幻想は消えるか P356)といった形で登場したことが目を惹いたが、過激表現の氾濫する現代にあって戦慄するような場面は全く現れなかった。せいぜいで私は、愛用の革の鞭を取り出し、女を打った。先に結び玉の付いた物だ。最初の一撃を打ち下ろす時の感動は、言葉ではとても説明できんな。まろやかな肉に食い込む鞭の感触、直後に浮かび出る赤い蛇のような傷痕、その中央からじんわりとにじむ血の匂い。女は、体をくねらせ、あえぐようなうめき声をたてた。私には、もっとやってほしいとしか聞こえなかった(第五章 アルクイユの鞭打ち P155)といった程度のものだ。

 本作の骨格は、1814年に74歳で没したとのドナスィアン・アルフォンス・フランソワ・マルキ・ドゥ・サドが、収容されていたシャラントン精神病院で62歳の時に、彼が悪人【治療不可能な悪徳の狂気の持主】なのか、病人【まごうことなき精神病者】なのか(第三章 審問開始 P58,60)を判定するために掛けられた審問を設えることで、サドが悪名を馳せた事件【第四章 最初の放蕩[22歳秋]、第十章 ラ・コストの少女饗宴[23~24歳]、第五章 アルクイユの鞭打ち[27歳]、第八章 マルセイユの乱交[31歳]】を振り返り、その人物像を探るという趣向にあったように思う。

 僕の部屋におけるサド自身の著作は、学生時分に読んだ澁澤龍彦の訳による『ソドム百二十日』『ゾロエと二人の侍女 あるいは三美人の数十日間の生活の収められた文庫本が書棚にあるだけなのだが、御多分に漏れず精神分析とか心理学や哲学に関心のあった若い時分から、その名が刻み込まれている。著者にも同様の関心があったものと見えて、サドの没後42年に生を受けたジークムント・フロイトによる理論に沿った考察をラ・サルペトリエール精神病院主任医師フィリップ・ピネル氏の発表(第五章 アルクイユの鞭打ち P164)として披露するシャラントン精神病院理事長ドゥ・クルミエの弁を借りて表出していた。最初に出てくる何が一人の男性を悪侯爵サドに変貌させたのか。また悪侯爵サドを、一人の男性に戻しうるものは何か。それがドゥ・クルミエの最大の関心事だった。…何が真実なのかを、この機にはっきりさせたい(第一章 十一歳の恋人 P14,P18)との言葉がそのまま作者の立ち位置だったように思う。

 その藤本ひとみの作品は、二十年近く前に『侯爵サド夫人』のほうを先に読んでいるのだが、もう読んだことくらいしか記憶にない。そのほかは三年余り前に『いい女』(中央公論新社)を読んでいるだけだが、僕のなかには少し意地の悪いリライアブルな作家というイメージがある。

 審問において私は、矯正不能な悪心の持ち主などでは、断固ない。また治療可能な精神病者でもない。社会によって貶められ、人生を歪められた普通の人間なのだ。(第八章 マルセイユの乱交 P261)と主張し私は、病人と言われるよりは、悪人と言われたい。その方が私らしいのだ。なぜなら悪をなすには力が必要だからだ。病人になるには、力なぞいりはしない。どこのどんなつまらん人間でも、病気になら簡単になれる。だが悪人には、なかなかなれはせぬ。どのみち真実から離れてあるのなら、私は断固、悪人を選ぶぞ。たとえ牢獄が待っていようとも、恐れるものではない(第十一章 最も親しい友人 P330)と語るサド侯爵を端的に言えば、…神を殺したいと考えたことのある人間(第四章 最初の放蕩 P104)としたうえで、肛門性交の嗜好、鞭打ちの愛好という恐ろしげな、一見犯罪的とも思える伯爵の行為(第六章 変容 P183)に対しては、幼い頃の性体験における屈辱は、憎悪や敵意、復讐心を呼び起こし、それらは性の高揚感や絶頂感に焼きつきます。両者は分かちがたいものとなり、お互いなくして存在できなくなってしまうのです。…サド伯爵の性の回路は、鞭という権力を手にし、自分の怒りを他人にぶつけることで作動し始め、相手の苦痛に勝利感を煽られて高揚し、復讐を成しとげたと感じることによって絶頂感を得るという形に集約され、固定されていくのです。これが悪徳と言えましょうか。これは、明らかに病気です。(第五章 アルクイユの鞭打ち P168~P169)と分析していた。根底にあるのは私に、いったんは多くの権利を与え、素晴らしい未来をのぞかせておきながら、気紛れにそれを取り上げて社会の底辺に突き落とし、初めからそこを這いずっていた人間たちの何百倍もの惨めさを味わわせた神を、この世から消してしまいたかった。神の抹殺こそ、私の恨みに見合う唯一の行為だったのだ(第四章 最初の放蕩 P109)と述べる“得られないことよりも辛い、失い奪われる不幸への恨み”というわけだ。直ちに賛同するものではないが、いたずらに怪物性に向かうことを良しとせずに普遍性に臨む立ち位置には、好感を覚えた。「第七章 伏流の発露」に示された神さえも創造しえた人間の、愛と生命の力を信じているというピネル医師の言葉(P212)は、神なき時代のものとしてなかなかいい言葉だと思った。

 そして、冒頭に示された「何がサドを悪侯爵にしたのか」については、拍子抜けするほどに卑近な“結婚”に起因すると結論づけていることが却って斬新に映った。ドゥ・クルミエ曰くサド伯爵の犯罪と放蕩は、そのすべてが、結婚生活中に起こっているのです。結婚式からわずか五ヵ月の後に最初の事件が起こり、次第に熱を高めながら続いていきます。そして出獄の自由を勝ち得たその日に、伯爵は突然、妻ルネ・ペラジーから離婚同然の別居を宣言され、二人の結婚生活は、ここに終わりを告げるのです。以降、サド伯爵は、犯罪も放蕩も起こしておりません。結婚生活が、伯爵を罪と放蕩に走らせた。ゆえに結婚の解消と共に、世に言われるところの怪物サド侯爵は消滅したというのが、私の主張です(第八章 マルセイユの乱交 P280)なのだ。彼は、“ロール・ヴィクトワール・アドリーヌ・ドゥ・ロリス嬢との恋”に着目し、相手から充分に愛されていると感じた時、サド伯爵の性行動は、その相手との関わりの中で極めて普通に、円滑に進みます。その時伯爵は、性交と愛情を結び付けることができるのです。しかし、相手の愛を感じることができなくなると、子供時代に持っていた性癖が復活します。すなわち相手を虐げ、力で支配して復讐を成しとげることによってのみ、強烈な絶頂冠を得られるというわけです(第六章 変容 P182)としていた。

 そのうえでサド伯爵の理想像を体現していると言ってもよい女性…ルネ・ペラジーを愛しましたが、同時に、あまりにも母親のよい子であり、聖女のように信心深い彼女に、恐れをいだきもしたのです。何ゆえの恐れか。それは、肛門性交を愛好し、鞭打ちを好む自分が、いつか彼女から軽蔑され、嫌われるのではないかという恐怖でした。…いとしく思えば思うほど、愛されない不安はつのり、そんな折には必ず、身に染みついた性癖が顔を出します。さりとて彼女を相手にその行為に耽ることはできず、サド伯爵は、苛立ちをつのらせたのです。…(妻のルネ・ペラジーは)義母…モントルイユ夫人という…きわめて支配欲が強く、夫も子供も完全に掌握し、自分ですべてを牛耳っていなければ気のすまない…母の采配に何の疑問も持たない人形のような女性になっておりましたが、サド伯爵は、世界が自分の意のままにならないといって神を殺そうとすら考えたことのある人間です。二人の間に亀裂が入るのは、時間の問題でした。 それでも二十三歳のサド伯爵は、妻が気に入っており、新しい家庭を大切にしたいと考えていたため、できる限り問題を起こすまいと努め、モントルイユ夫人を立てて、彼女に迎合しようと努力しました。その結果、自分が本来こうあるべきだと信じている自分自身と、モントルイユ夫人から強制されている従順な婿であれという自分像の間で、葛藤が生じ、自己を失いそうになったのです(第九章 結婚の原罪 P284~P285)と分析していた。

 そして、正直に申しまして、女中や下男たちの前で服を脱ぎ、体の隅々までさらけ出すことは、消え入りたいほどに恥ずかしいことでした。ましてや、その下男たちに次々と弄ばれ、体中を犯されるとあっては、恥辱の極みといっても過言ではありません。またそれを侯爵様がつぶさに御覧になっておられるのですから、苦痛は何十倍にも膨れ上がりました。 耐えることができたのは、ただ侯爵様を理解したい一心からです。自分の内に根付いている世間の常識のすべてを放棄し、一切の批判に目もくれず、ただひたすら侯爵様の世界に歩み寄って行くこと、それこそが妻たる自分の役目であると、私は考え、侯爵様のご命令に従い続けました。(第十章 ラ・コストの少女饗宴 P319)とピネル医師に打ち明けていたルネに対してけなげな決意でした。しかしまさにこの姿勢こそが、サド伯爵の心にいっそうの不安をかき立て、事態を悪化させたのです…伯爵は、自分の傷を埋めることができませんでした。その結果、妻の愛の深さを疑い、それを試さずにいられなくなったのです。いったい妻の愛とは、どれほどのものなのか、どれだけ自分を受容しうるのか、どこまで愛し続けてくれるのか。これを見定めたくて伯爵は、妻に無理難題を押しつけるようになります(同 P320~P321)とする一方で、侯爵様と私の結婚を一番強く望んだ…母を見て、私は初めて、自分が侯爵様と一体になろうとしていた真の理由に、気づきました。 私は、本当は母から独立したかったのです。一人の人間として生き始めたかったのです。けれども圧倒的な力を持ち、しかも私を愛してくれている母との関係を自分から断ち切ることは、容易なことではありませんでした。そのためには、誰かの助けが必要だったのです。 それが侯爵様でした。私は、侯爵様と一体になることによって自分を強くし、侯爵様の愛を求めて母の愛の代わりにし、それらを支えに、母から自立しようとしていたのでした。すべては、そのための努力であったのです。(第十一章 最も親しい友人 P336)と読み解いていた。

 そうしたうえで最後にサドを決定的に傷つけられ損なわれた精神に突き動かされ、飽くことなく社会的栄誉を渇望し続けている人間、それさえ満たされれば普通の男性たりうる人間(第十一章 最も親しい友人 P343)だと看破し宣告したドゥ・クルミエ理事長の言に託して作者の示していたサド分析(同 P338~P341)が、なかなか興味深かった。それ以降の“マダム串刺し”の件は、サドの娘と思しきダニエル・サブロニエールを造形していることに期待を抱かせた分、単なるその回収に過ぎない付け足し感が拭えなくて、少々残念だった。

 ちょっと感心したのが、ふとしたフレーズや言葉遣いが外国文学の翻訳を読んでいるような気にさせる表現だった。私は、神などいないと思っている。よってイエス像は、私にとってはただの彫刻だ。私が買った私の彫刻に、私が何をしようと罪に問われる覚えはない。また存在しない神が定めた掟など無意味であり、従う義務はない。よって私の罪は、ないも同然だった。にもかかわらず、有無を言わせず引っ括られたのだ。まさに突然の災難であり、いきなり馬車に突き当てられたようなものだ(第四章 最初の放蕩 P97)にしてもそうで、なるほど馬車かと思ったし、私が好むのは、ここにおいでになる紳士の方々の愛好される場所から、ほんの一プースばかり奥に入った秘密の祭壇だ。私に言わせれば、そここそが、神が人間に許した快楽の場所なのだ。 紳士の方々がこよなく愛しておられるというあそこは、低俗でわかりやすく、弛んだ繁殖口にすぎぬ。…『尻でやるというのが自然の意志でなければ、尻の穴が、男の一物にあれほどぴったりにできているはずはない。どう頭をひねってみても、丸い一物のために、膣という楕円形の受け口が用意されるなどとは、考えにくいものだ』(同 P87~P88)の“祭壇”には唸らされた。サドによる原典にある修辞なのかもしれない。




参照テクスト:藤本ひとみ 著『大修院長ジュスティーヌ』を読んで
http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2017/39-2.htm
by ヤマ

'18. 1. 8. 文藝春秋



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