『大修院長ジュスティーヌ』を読んで
藤本ひとみ 著<文藝春秋 単行本>


 三人の女性の名を冠した「大修院長ジュスティーヌ」「侯爵夫人ドニッサン」「娼婦ティティーヌ」からなる三作品を収めた本書を読み終えて、表紙カバー絵の三美神はギリシャ神話でもローマ神話でもなく、フランス革命神話の三美神として提起されたものだったのかと納得した。初出の順で言えば、最後になるジュスティーヌを最初に繰り上げて表題作とし、その後は初出の順に並べ替えた配列がよく効いているように感じられた。

 三美神のいずれもが、社会的にも性的にも女性が極めて不自由に抑圧されていた時代にあって、革命的なまでに強い自我と意志を以て生きた女性像を造形していて圧巻だった。聖ミシェル修道院の下にあるアブランシュの神聖母修道女会の大修院長に二十八歳で選出された三十歳過ぎのジュスティーヌと十五歳の見習い修道士アンドレ、二十八歳のドニッサン侯爵夫人マリー・ルイーズと十三歳の実子ルイ、娼婦上がりの三十九歳の高級娼館主ティティーヌと二十歳そこそこの農家の若者ピエールという三つの一七八九年夏の交わりを読みながら、彼らの抱えていた不自由と求めた自由の顛末に感慨深いものを覚えた。

 第一話に繰り上げられていた「大修院長ジュスティーヌ」に引用されていた聖トマス・アクィナスが『神学大全』で挙げていた淫欲のなかの“自然に反する悪徳”の類型にしろ、聖アントニヌスが定めた淫欲の形態にしろ、彼らの名や書名は知れども承知していなかったが、前者の①獣姦、②不自然な姿勢での性交、③男性及び女性同士の交接、④自慰にしろ、後者の①処女凌辱、②婦女暴行、③姦淫、④近親相姦、⑤汚聖、⑥姦通、⑦不自然な姿勢での性交、⑧男性及び女性同士の交接、⑨自慰にしろ、なにやら玉石混交というか腑に落ちない代物だけに『神学大全』が出された一二六七年以来、聖トマスの倫理学は、神学界の支えだった。今は、それに多少の補いをしなければならないだろうと見解が出されている。なぜなら聖トマス・アクィナスは、淫欲に関する性行為のあれこれを明確に規定していないからだった。(P28)に続き、…淫欲の実態を明らかに定義しようと努力を重ねた結果、現在では、多少なりとも輪郭が定まってきている。だが論じる側、聞く側、決定する側の三者が、一様に禁欲生活を強いられており、淫欲はおろか神から許された性交でさえも経験していないという決定的な事実が、大きな障害となって立ちはだかっており、完全な結論が出るまでには、まだまだ時間がかかりそうだった。と述べられていることに思わず吹き出した。まさに、そうなのだ。かように理不尽なプロセスによって定められた戒律が、人の命や一生を左右してしまう“宗教的権威”なるものの愚劣さに唖然とせざるを得ないのだが、そんなことが実際に起こっていたわけだし、今なお連綿と続いている部分さえあることが恐ろしい。だが、事は宗教的権威だけではないように思われてならない。世のルールを定めている権威というのは概ねそのような現場乖離の下にあるような気がする。

 ともあれ、そういった宗教的権威の最右翼たるベネディクト会の聖哲と呼ばれた聴聞聴罪僧ジェローム・バルを師と仰ぎ、我が子よ、汝の師の言葉を聞け。よいか。おまえはこれから女性たちの中に一人で入っていかねばならない。女性なるものは、悪魔の門だ。罪は、そこから侵入し、全人類を汚染した。女性は、悪魔の使途であり、悪魔が仕掛けた罠なのだ。女性に触れれば体が汚れ、女性のことを考えれば心が汚れる。悪魔の道具である女性の仕事は、人間を堕落させることだ。特に聖職者は、標的にされやすい。神に捧げられた清らかな心身を弄び、淫らな欲望に貫かれた俗物に変貌させることは、女性にこの上ない快楽を感じさせ、自己の力を確信させるのだ。用心せよ。悪魔に勝利の声を上げさせるな(P43~P44、P48)と教えられていたアンドレが、ベネディクト会から異端とされた人間の性を認め、その快楽を許す聖バルコンヌス(P103)派へとジュスティーヌから導かれていく姿は、まさに“自然に反する”ことの対極にあるわけだが、印象深いのは、そういうアンドレの姿ではなく、ベネディクトの聖哲と呼ばれ、多くの教敵を調伏してきたバルが、いったん異端と判断を下し足を運んできたからには、確実に異端であり、また何がなんでも異端であらねばならなかった。(P65)となる宗教的権威の権力に奢れる論理構造の炙り出しであり、決してこれは二百三十年前のキリスト教界に限られた話ではないことだ。そして、頭脳明晰なるジェローム・バルがいかにしてそうなっているのかをバルと対峙して鮮やかにあばき立てたジュスティーヌの毅然とした姿が実に颯爽としていた。

 そのジュスティーヌがその後パリで見かけたと噂されたという革命派の屯するパレ・ロワイヤル(P119)で高級娼館シテール館を営んでいたのが第三話の娼婦ティテーヌことロザリー・デュテなのだが、貴族の生れと思しきジュスティーヌと異なり、下町の自営工芸職人の娘で、十五歳でサン・トノレ街にある服飾店に働きに出た後、理不尽な言いがかりのような借金を負わされて娼婦になりながらも持って生まれた才覚と、故あって快楽を知らない冷たい体だからこそ、自己の官能に溺れることもなく男たちを観察し、その希望にそうことができた。男に何ら期待をしなかったからこそ自暴自棄になることもなく、自分で運命を切り開く地味な努力を重ねてきたからこそパンに不自由しない生活を確保することができた。だが同時に、それだからこそ、今、空疎なのかもしれなかった。(P254)という、まさに♪愛はかげろうのように♪のような女性で、オルレアン公爵ルイ・フィリップから嫡男の筆おろしに召喚される経歴も持っていた。

 多淫を重ねながらも心身の満たされることがなかったティティーヌとピエールが一七八九年七月十四日に到達したカタルシスはフランス革命のもたらした解放に匹敵するものであったということなのだろう。巻末から三行目に遂に日付をも明示して革命に擬えた性的解放を主題とする三つの物語は、いずれも読み応えがあったのだが、僕の目を最も惹いたのは、第二話のドニッサン侯爵夫人マリー・ルイーズの物語だった。

 分限者の商人の家に生まれ、父親の意向で帯剣貴族のもとに十四歳で嫁がされ、恋も知らずに年長の放蕩男と結婚することになった。男に伍する実力を持つと自負し、父のように生きたいと望んでいたというのに、突然、花嫁の座に上らされ、娼婦相手に鍛えぬいた花婿の手で、否応なく自分が女性であることを体験させられたのだった。 マリー・ルイーズは、恨みを抱いた。それまで男と並ぶ存在であったはずの自分が、夫によって不当に貶められ、ただの女になってしまったと感じて、彼を憎まずにいられなかった。 夜、寝台の上であられもない姿を要求され、体中が痛くなるほど長時間の愛撫を強いられて歓ぶように命令される時、自分のものであっても動産は、夫が勝手に処分する権利を持っていると宣告された時、夫がパリに何人かの愛人を抱え子供もいるとわかった時、折々にマリー・ルイーズがかみしめてきた屈辱はすべて、女性であることに起因していた。 その都度に憎悪を強めながらマリー・ルイーズは、生まれてくる子供が男子であることを切望した。自分に許されない自由で誇り高い人生を、自分の代わりに生きる子供を育てることで、今の生活の恥辱と空疎さを拭いたいと願ったのである。 女子しか手にできないと知っても、絶望してすべてを投げ捨てるには、あまりに恨みが深すぎた。性を偽ることはもちろん、女性が男性の衣装を身につけるだけでも死罪に値するとわかっていたが、その危険を冒してもマリー・ルイーズは、自分の不本意な人生を子供を通してやり直したいと望んだのだった。(P148~P149)という女性だ。

 第一話で示された性的悪徳のうち第一話に登場したのは、姦淫、汚聖、男性及び女性同士の交接、自慰で、第三話では、処女凌辱、婦女暴行、姦淫だったが、第二話では、処女凌辱、姦淫、近親相姦、姦通、女性同士の交接となって倒錯度がひときわ高くなっていた。とりわけ母としての倒錯はこの上ない歓びを味わいながらマリー・ルイーズは、さらに多くを欲する。自分がしたかったことのすべてをルイに要求し、その反抗の芽を素早く摘み、いつまでも自分の傍らから離れて行けないよう子供扱いして自立心を削ぎ、過多の愛情を注いだ。常に自分の考えを吹き込むことでルイの思考を操り、より深く自分に同化させようと図り続ける。 ルイは、実に素直に母の愛に満足し、言われるがままに男性を嫌悪し、母の理想を生きる人生を知らず知らずに歩み出した。それは今やルイの人生であり、母の意志と感情はルイのそれであり、母はルイのすべてだった。母を離れては生きていけないと、ルイは思っている。なぜならルイは、母以外の自己を持たないからだった。(P150)となるほどに凄まじく、“母原病”なる言葉が大流行していた時分のことを思い出した。しかし、かほどの母子密着もその故からして当然といえば当然ながら、革命による解放のもたらす今まで許されなかった自由な人生が、自分自身のものになる予感。それが、マリー・ルイーズの心を乱し、ルイはそこから押し出された。その時マリー・ルイーズの中でのルイは、掛け替えのない自分自身から、ただの子供へと変貌したのだ。(P156)ということになってしまう。その後に訪れるマリー・ルイーズ母子の悲劇は、圧巻という他なかった。

 毎度のことながら、全編を色濃く貫いている人間と性の問題への探求心からくる考察による描出が魅力的だ。その品位ある鮮やかさに感心させられる。十五歳で娼婦となったティティーヌの花街言葉に言う水揚げ場面を描いてもティティーヌの純潔は貴重なものであったため、この上なく大切にされた。ティティーヌは、それを保ったまま性の技術を伝授され、訓練を受けて娼婦となったのである。その間に、金髪の処女に高額を払うつもりのある客たちに打診がなされ、最も金払いのよい相手がティティーヌを落札した。色好みで有名な元帥ドーモン大公である。 左頬に大きな剣の傷を残した五十歳半ばの巨漢に、ティティーヌは一目で恐れをなしたが、ドーモン大公は今までティティーヌが出会った誰よりも思いやりがあり、紳士的だった。下のサロンで話すうちに、ティティーヌも気持がほぐれ、二階に上がって個室に入るまでには、すっかり覚悟ができ上る。肉の塊のようなドーモン大公の体の下で、ティティーヌは、娘として最後の夜を過ごし、女として最初の朝を迎えたのだった。(P239)となる。当時のパリの娼館にかほどに日本の色街に似通った習わしがあったのか、僕にその知見はないけれども、古今東西に普遍的なものなのかもしれない。ともあれ、節度の利いた表現と豊かな教養と知性によって物語世界が構築されているからこその味わいを堪能することができた。




参照テクスト:藤本ひとみ 著『侯爵サド』を読んで
http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2017/39-1.htm
by ヤマ

'18. 9. 4. 文藝春秋



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