『ミス・シェパードをお手本に』(The Lady In The Van)
監督 ニコラス・ハイトナー

 いわば「貨物自動車の婦人」となる原題に対する邦題にいう「お手本に」とは、どういう意味なのだろうと思っていたが、観終えた後、「ミス・シェパード(への遇し方)をお手本に」なのかもしれないという気がした。

 冒頭で“ほとんど実話”とクレジットされて始まった物語は飛び切りヘンな話だったが、1974年から1989年までの15年間、劇作家アラン・ベネット(アレックス・ジェニングス)の庭先に住み着いた老婦人の話を、2015年になって原作者自身が脚本も書き、顔見世出演もして映画化したことの意味は、加速度的に不寛容を増してきている時代に対するものだったのではなかろうかと思った。

 シェパードを名乗る、実に奇妙で偏屈な老婦人(マギー・スミス)に対して、自身との対話の独り言が習い性になっている同性愛者と思しきアランが関心を寄せたのは、ある意味、人間観察が商売とも言える劇作家ならではのものかもしれないが、そうであったにしても、その提供したホスピタリティと許容度の高さは、やはり特筆すべきものだったように思う。

 だが、それ以上に驚くべきは、三、四十年前のイギリスの中産階級の住宅街における、貧者に対する寛容精神の高さだと感じた。適度に苛立ちや憤懣を抱えながらの受容であったところに社会の成熟を感じたが、格差拡大のなかにあって移民排斥のためのEU離脱を国民投票で決するに至ったイギリス社会からは、既に失われているのかもしれないとも思った。

 だからこそ、本作が映画化されたのだろうとも思うが、僕にとっては、名優マギーをもってしても、老婦人に魅力を覚えられず、彼女を遇したアランもまた、彼女に匹敵するくらいの変人に思えて仕方がなかった。それにしても、彼女は、三台ものヴァン(貨物自動車)をどうやって入手したのだろう?

 二人がともにした十五年の歳月や、元ピアニストと思しき流暢にフランス語を話すマーガレット【ミス・シェパード】の秘められた過去が充分に活かされた作劇のようには思えなかったが、人と人の関わり方を考え直し見直す刺激を与えるという本作の核心部分は、きちんと伝わってきたように思う。
 
by ヤマ

'17. 7. 5. あたご劇場



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