『100年の谺 大逆事件は生きている』['12]
監督(演出) 田中 啓


 近年見つかったというオープニングで映し出された“管野須賀子が紙に針で穴を開けて綴った密書”の末尾に記されていた「彼ハ何ニモ知ラヌノデス」という文字と、彼女の刑死を見送った女性刑吏が大逆事件後12年経って発表したという回想録に記されていた菅野須賀子の人物像が印象深かった。

 時代に先駆けた果敢な行動力と荒畑寒村、幸徳秋水はじめとする男性遍歴の派手さからか、奔放な性格イメージのあった彼女について、知性と品格の人との証言があったことがかくも埋もれたままになっているのは何故なのだろうかと改めて思った。

 今や国家権力の行った捏造事件として知られる、幸徳秋水ほかの無政府共産主義者への大逆罪の適用による思想弾圧に関して、仮にも首謀者とされた女性だからだろうか。

 連座して処刑された大石誠之助の地元である新宮市では、いまだに数多くの受刑者を新宮から輩出したことの責を国家権力に対してではなく、大石と関わったことに求める風聞が受け継がれているらしいことに驚き、衝撃を受けた。地元では大石誠之助の巻き添えになったとの語り草が残っているから、彼の縁戚者であることは明かさないほうがいいとのことだ。

 反体制者を好まない国家主義者ということでは特になくても、典型的な国権の横暴事件に対してさえ、そういうことになってしまうのかと何だか空恐ろしい気がしたことから考えると、100年を経て今なお大逆事件の再審請求に挑んでいる人々の活動も必要なことなのだろうと改めて思った。

 なにせトンデモ史観が、自由主義の名のもとに大手を振って罷り通るばかりか、いかにも知性を欠いた被選挙権民が単に当選したことだけをもって政治家を名乗るなかで、市政/県政/都府政/国政の場で臆面もなくそれらが主張される時代になっているのだから、大逆事件は国家権力によるフレームアップではなかったなどと言いだすことも、あながちあり得ないことではないような気がする昨今の情勢だ。それからすれば、“大逆事件は生きている”との副題の持つ重みは、本作の制作当時である三年前よりも遥かに増してきているように思う。

 本作で対照されていたドレフュス事件[1894年]がエミール・ゾラなどの知識人の糾弾によって世論が盛り上がりドレフュスの釈放に繋がったことに対し、大逆事件[1910年]では同時代の知識人が沈黙し、本県四万十市出身の幸徳秋水たちが「真実は後世の歴史家が明かしてくれる」というような言葉を残すほかなかったとの指摘は、世の中の戦前回帰がどんどん進みだしてきているように感じられる今後においては、再現されるのではないかとの危惧さえ抱かせるものがあるような気がしている。

by ヤマ

'16. 1.23. 自由民権記念館民権ホール



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