『帰ってきたヒトラー』(Er Ist Wieder Da)
監督 ダーヴィト・ヴネント

 原題である「彼がそこに帰ってきた(Er Ist Wieder Da)」の「そこ」というのは、単に「ドイツ」のことを指すのではなく、世界的な経済情勢の悪化や国際紛争多発のなかで、各国において国家主義が顕著になり、大衆が強権的指導者を求めるようになった1930年代という時代そのものを指しているのだろう。そして、それは現在のドイツだけに限った話ではなく、チラシに記された惹句の「笑うな 危険」がそのまま当て嵌まりそうな我が国の状況を照射していて、少々大げさに言うなら、慄然とさせられるようなところがあった。

 本作でも言及されていたように思われる「メディア」の世紀たる前世紀が、社会の組成のありようを大きく変えてしまっているということを改めて感じた。また、「総統閣下シリーズ」としてユーチューブなどでも人気のヒトラー 最期の十二日間の場面をパロッたシーンが出てきて、この場面は本国においてもネタにされているのだと今更ながらに知った。

 十一年前に『ヒトラー 最期の十二日間』を観たときには、ゲッベルス宣伝相に焦点を当てているところを興味深く受け止めた記憶があるのだが、本作で“女ゲッベルス”とも言われていたTV局の女性プロデューサーであるカッチャ・ベリーニ(カッチャ・リーマン)の位置づけが興味深かった。

 最初は、面白がるネタくらいにしか思っていなかったように見受けられるメディアが、まさにネタとして利用しているうちに、制御できないマジに転じていって翻弄されることのミニ版は、最近の我が国でも、「在特会」を名乗る集団を率いた人物の出現で目の当たりにしたところだ。

 もし仮に、本物のヒトラーと寸分違わぬ人物が再登場したら、ドイツであれ、日本であれ、たちまちとんでもないことになりそうな気がする。そして、そういう状況を招くことへの直接的な引き金を握っているのは、やはりTVメディアだと思った。彼らがおかしな面白がり方をして取り上げることが世の中をおかしくするような気がしてならない。当初、泡沫候補に過ぎないと高を括って面白がられていたようにも映っていたトランプがメディアの注目を浴びるなかでアメリカ大統領選の共和党候補者に正式に決まってしまったようなことこそが、まさしく80年余り前のドイツで起こったことだったのだろう。そう思うと2010年代という時代は、とてつもなく大きな危機を迎えている時代だという気がしてきた。



参照テクスト:『ネットと愛国~在特会の「闇」を追いかけて』を読んで


推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2016/kn2016_08.htm#03
by ヤマ

'16. 8.20. ・・・・



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