『私の、息子』(Pozitia Copilului)
監督 カリン・ペーター・ネッツァー

ヤマのMixi日記 2016年06月21日23:32

 センターの「わたしのためのリフレッシュタイム」と題する定期上映会で観ることができた。  エンドロールの最初のほうで英題の「Child's Pose」が映し出されたが、作中で“胎児の姿勢”と訳されていたものが、 バッファロー'66のように画面に映し出されたりはしなかったものの、何とも甘ったれた母息子双方の関係に観ていて少々うんざりさせられた。

 だが、自身の体験に根ざした映画化らしいから、それで言えば、愚かさと未熟さを飾らずに生々しく描き出している点では、母子ともに圧巻だ。さらには、カネ・コネを得ていることで人間的に損なわれてしまっている部分も有り体に映し出していて痛々しさを通り越して不快ですらあった。

 だからこそ、直に場に立つことで、損なわれていたものの取り戻しを果たしているように感じさせる最後の場面が盛り上がるわけだが、いくら被害者の少年に高速道への無謀な歩行飛び出しがあったにしても、スピード違反の追い越しによって十四歳の息子を轢き殺された父親が、三十代の金持ちのぼんぼん息子の謝罪を真摯に受け止め得たからといって、握手まですることはなかろうという気がしてならなかった。

 それにしても、カネとコネを得ることでの無自覚なるままに遂げてしまう思い上がりというものがスポイルしてしまっている状態を描いて実にリアリティがあったように思う。


コメント談義:2016年06月23日 11:10~2016年06月28日 00:28

(TAOさん)
 痛々しさを通り越して不快ですらあった。
 ははぁ、そうでしたか。
 私はこの手の母子をよ~く知っているので、この甘ったれた母子が自立の一歩を踏み出したのに感動しました。


ヤマ(管理人)
◎ようこそ、TAOさん、

 日誌はもうイイやと思っていたので、拝読しましたよ。

 好意的な見方をするなら、息子が病的に潔癖なのは、このような社会の腐敗に染まりたくないという強い意志の表れなのかもしれない
 好意的に過ぎるでしょう、そりゃ(笑)。

 あの息子に関してお訊ねしたいのは、「同棲相手のカルメンの話では最初は子供を欲しがっていたのに、後に避けるようになり、避妊し始め、避妊具をしてないときは体外射精をするようになったと言ってませんでしたか?」ということなんですが、もうご記憶にはありませんかね?

TAOさんのmixi日記を読んで、さすが!と思ったのは、本当のターニングポイントはラストではなく、その前に息子が母親に初めて自立を宣言し、母親が渋々それを受け入れるシーンだと思う。との箇所でした。その通りだと思います。それでも尚、車の中に一人だけ残って、母親とカルメンに被害者宅に行かせるダメ夫くんなんですが(とほ)。

 ところで、あのフェンダーミラーに映った握手は、どのように御覧になりました?


(TAOさん)
 大丈夫、まだ記憶にありますよ(笑)。
 息子が避妊をするようになったのは、そりゃ決まってます。孫なんかできた日には母親が大喜びしてあれこれ口出しするに決まってると悟ったからでしょう。

 握手については、じつはあまり覚えてないのですが(笑)、少なくともヤマさんみたいに違和感は感じませんでしたよ。被害者の父親は息子の謝罪を受け入れたというよりは、あの愚かな母親を見て、立場は違えど子を思う母の情の濃さに打たれて憎しみが消えたのだろうと思うのです。だから、お前もしっかりしろよ、というエールみたいな握手だったのだろうなと思います。


ヤマ(管理人)
 僕が引っ掛かったのは、避妊するようになったことではなく、カルメンが「最初は子供を欲しがっていたのに」と言ったことでした。バルブって、TAOさんがつい好意的な観方をするくらいには繊細なわけで、母親との関係に難儀しつつ自身の不甲斐なさにも気づいていればこそ、そんな母子の血を引く存在など最初から持つことに腰が引けてるはずなんです。

 しっかと懐いてくれてるらしい幼子がカルメンの連れ子として既にいたわけで、そのなかで更にややこしくなる存在を欲するような男には思えませんでした。だから、「カルメン、そこんとこ、盛った?」ってな疑念が湧いたんですよ(笑)。相方の実母相手となれば、そんくらいのかましはしたくなるだろうし、今回の事故の件で、もうバルブを見限ろうかとしていたカルメンでしたからね。

 握手の件は、作劇的にはまさにそういう意図というか趣旨なんだろうと僕も思います。でも、さすがにリアリティないやろって思ったわけです。かの父親にとっては、息子を死なせた“加害者”に他ならないわけですからね。


(TAOさん)
 「カルメン、そこんとこ、盛った?」
 あはは、そういう疑念でしたか。カルメンもなかなか気の強い女ですからねー。そのくらいのことはしかねませんわな。

 でも、どうせ盛るなら、バルブがはじめから子どもだけはほしくないと拒絶したから、私はほしかったのに諦めたんです、とでも言ったほうが、実母にもっとショックを与えられるのでは?

 リアリティねえ、ふーむ。私はあの母親の「あなたにはまだひとり残ってるじゃない、私にはたったひとりの息子なの!」というむちゃくちゃ自己チュー発言になぜか胸を打たれましたから、もし私なら、うっかり握手しちゃうかもしれません。あとから思い返して、なぜ被害者の私が・・・とあきれるかもしれませんが(笑)


ヤマ(管理人)
 元々バルブが被害者の父親と交わした会話すら描いてないなかでの描出ですから、ま、映画の表現手法で言えば、リアリティを問うようなカットではなく、握手をフェンダーミラー越しで映すことで“受容”を示した記号的ショットですよね。だから、握手そのものに囚われるべきではないという観方も、他方で持ってはいるんですけどね(たは)。

 カルメン、実に気丈ですよね。ま、そんくらいでなきゃ、頼りないバルブとやってけないでしょうし(笑)。
 で、僕はまさにTAOさんがおっしゃるような「子どもをほしがらないバルブ」のほうが、盛るにしても盛らないにしても作劇として本作に適っていると観ていて、もし「ほしがった」としたら、そこは実際とは違う物言いで、母親に対して自分がバルブから熱愛されていたことをアピールするための“盛り”だと観たわけです。それくらい「最初は子供を欲しがっていた」ということに違和感がありました。


(TAOさん)
 それじゃとっておきの体験談を教えましょうか。
 あ、でも、この場ではなんだから、メッセージで送ります。


ヤマ(管理人)
 なるほど、そういうことでしたら、僕が引っ掛かったところをすーっとスルーできるのも当然ですね。

 ま、自立を宣言した傍から、母親とパートナーに付き添ってもらってというか、連れて行かれるようにして被害者宅を訪ねるような矛盾をものともしない甘ちゃんにスポイルされているバルブですから、実際に初めのうちはカルメンに子どもが欲しいなどと脳天気に漏らしたのかもしれませんね。子育てをも含めた意識レベルではなく、相手への想いの強さの表現修辞として。

 でも、本当の意味で積極的に子供を欲していたのではないから、カルメンと同棲までするようになるなかでの母親と彼女の間の様子を見て、これで子供まで出来たら実に厄介な状況になると思い始めて、積極的に避妊するようになったというのは、ありだという気がしてきましたよ。

 とはいえ、ありなしということではなく作品解釈としては、自分の解した“カルメンの盛り”のほうが、嫁姑みたいな女性二人の関係の微妙さが宿るので、好みですが(笑)。


(TAOさん)
 子育てをも含めた意識レベルではなく、相手への想いの強さの表現修辞として
 それもどうなんですかねー。
 想いの強さということから言えば、すでに子どもがいるカルメンのことを気遣うべきなので、たいした想いはないのかなという気もします(笑)。だからこそ“盛り”にならないんじゃないの、と思うわけです。そもそも息子が子どもをほしがらないなんて思ってもいない母親には、私じゃなくてあんたの息子がほしくないと言ってるんだからね、と言うだけで十分ショックを与えられますから。

 そんなカルメンですが、この後はよりを戻して、もう少しこの母子につきあうことにしたんじゃないでしょうか。またチャイルドポーズに逆戻りするなら、いつでも出て行けばいいし、と、とりあえず執行猶予をつけた感じでしょうか(笑)。


ヤマ(管理人)
 ん? 「たいした想いはない」というのは、甘ちゃんバルブの話ですよね? つまり、バルブ⇒カルメンの二者関係での話ですよね。あ、そーか。子どもが欲しいと発言しながらも、たいした想いはないということですね。それなら、納得です。もともと僕は、バルブがそんなこと言わないだろうと思ってるくらいですから。
 で、言ったとしても、本当に子供が欲しくてというよりは、そう言うことでカルメンへの想いの強さをアピールしているつもりでの発言だろうと僕は想像したわけです。甘ちゃんバルブとしては、もとよりTAOさんがおっしゃるような“望ましき気遣い”など出来るわけありませんので、そこは言っても詮無きことかと(笑)。

 そのうえで、“盛り”のほうは、バルブとの関係のなかでのことじゃなくて、カルメン⇒コルネリア(バルブの母親)の二者関係での話ですよね。そこでは、バルブの想いや発言の実際というのは、別問題のような気がします。

 で、バルブが子どもを欲しいと実際に言っていたら、それを言うことは盛りでも何でもなく、実際にはそんなんことを彼は言っていないにもかかわらず、という場合にのみ、盛りになるのであって、そのときのカルメンの発言意図は、バルブの自分への想いの実際よりも、自分がバルブから強く想われていることを母親に対してアピールしておいてからでないと、彼が避妊に熱心になったことを表明できなかったからではないかと僕は受け止めたわけです。

 カルメンがこの後は思い直して関係解消を取りあえず留保するのではないか、というのは、僕も同感です。何より、コルネリアに大きな貸しを作ることができましたし、カネ・コネに加えて謝罪とその受容もあったので、おそらくは交通事故死が大きな問題に表面化しなかっただろうことから、せっかく娘も懐いているバルブとの関係をいま清算するまでもないと考えたような気がします。
 おっしゃるように、執行猶予ですね(笑)。バルブが母親に対して宣言した自立をどこまで果たせるかによるでしょう。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929590652&owner_id=3700229
編集採録 by ヤマ

'16. 6.21. こうち男女共同参画センター「ソーレ」



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