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『新・富裕層マネー 1500兆円市場争奪戦』を読んで | |||||
日本経済新聞社 編<日本経済新聞社> | |||||
帯に打たれた“「格差社会」に商機あり!”という何とも下品な惹句に呆れて手にしてみた本だ。ちょうど先ごろ観たばかりの映画『マネーモンスター』の鑑賞日誌に「作中でも指摘される賭博同然の投機やマネーゲームのことを、本来の意味を違えて「投資」などと言い替える「援助交際」みたいな物言いが普通に罷り通るようになり、ささやかながらもマネーゲームに参加しないと落伍するかのような強迫観念を作動させて金集めに奔走する金融資本主義が実体経済を今後どこまで踏みつけていくのだろうと思うと暗澹たる気持ちになってくる。」と綴っていたところなので、響いてくるところがあった。 ちょうど十年前に刊行された書籍だ。「…日銀は二〇〇六年三月に、五年間続けた金融の量的緩和政策を解除。「金利の復活」による金融環境の正常化が近づいている。 日本のメガバンクはこれまで、住宅ローンなど貸出金利を先行して引き上げる一方、「短期金利連動」の預金金利の引き上げを見送ってきたが、預金者を軽視していると、とんだしっぺ返しを食いかねない。」(第7章 P206)としていた部分は、正常化どころか今や次元の違う異常を日銀が繰り出しマイナス金利政策まで打ち出している。それなのに、政治の世界と同様に桁外れの非道を為せば却って鈍化を誘うのか、銀行がしっぺ返しを食わないよう日銀が正常化を避けているからか、およそ“しっぺ返し”と言えるような事態に見舞われているようにはなく、むしろ「特に銀行は、不良債権処理を終えて業績が急回復しており、投資余力は膨らんでいる。個人向けリテール(小口金融)分野は各行が並んで強化する分野であり、いかに効果的にリテールへ経営資源を投じるかが課題。ライバルに先回りする形で、顧客への説明の体制作りも済ませれば、イメージ戦略にも資すると計算している。」(第8章 P223)との思惑どおりに進行してきている気がする。 そして、「規制緩和で業種や国境をまたいだ競争が盛り上がる。店頭で、インターネット上で、口コミで、リスクもリターンも多種多様な金融商品が消費者の前に並ぶ。もちろん、専門家から見ても、仕組みが難しい金融商品も少なくない。金融商品の多様化に合わせて、本体は買い手がリスクと向き合う材料を充分提供する仕組みが欠かせない。しかし、現実はおぼつかない。」(第8章 P222~P223)状況は更に拡大しているのではなかろうか。 そんななか「リスクと正面から向き合える個人投資家をはぐくむ土壌づくりは始まったばかりだ。」(第8章 P217)などと発破をかけ、「長引く低金利が投資収益に対する個人の意識を目覚めさせ、一般の家計でも、資産の一部を元本割れのリスクのある金融商品にシフトさせ始めている。預金の払戻保証額を千万円とその利子に限定するペイオフが解禁され、一定のリスクを取らないと資産形成が難しい時代になり、個人でも様々な金融商品が持つリスクと向き合うための金融知識が欠かせなくなっている。」(第8章 P209)などとする本書のような勢力が、“マネーゲームに参加しないと落伍するかのような強迫観念”と僕が映画日誌に記したようなものを作動させていたのだろうと改めて思った。だからこそ『マネーモンスター』で六万ドルを不意にされたと憤るカイル(ジャック・オコンネル)が、「それっぽっちの金で?」とつい漏らすゲイツ(ジョージ・クルーニー)に対して「俺たちのなけなしの金を巧い口車に乗せてドカンと持って行っちまう連中」と非難し、投資情報TV番組のスタジオを襲撃したくなるような事態が起こるのだろう。 それにしても、十年前の本書において「金融機関やシンクタンクの推計によると、日本には純金融資産が五億円以上の「スーパーリッチ層」が約六万世帯、一億円以上・五億円未満の「大衆富裕層」は七十二万世帯あり、この上位二つのお金持ち層が個人の金融資産の一割を握っています。」(まえがき Pⅰ)、「日銀の金融広報中央委員会の推計では、国内で一億円以上の資産を保有する人は全人口の〇・四%…。メリルリンチの調査では、居住用不動産を除く金融資産が百万ドル(約一億円)以上の富裕層は二〇〇三年末で約百三十一万人。全世界の富裕層(七百七十万人)の一七%を占める…こうしてデータを読み解いてみると、日本は世界でも有数の富裕層がひしめく国といえそうだ。住宅事情や生活のゆとりの面では実感は薄いともいえるが、金融機関は特定の富裕層をターゲットに絞り込んで攻勢をかけている。」(第1章 P7~P14)と記していた格差は、今やどこまで拡大しているのだろう。二〇〇一年から二〇〇六年までの小泉内閣において“頑張った者が報われる社会”などという言葉に置き換えて推進した格差社会づくりが、今や日本社会を根底から危うくしているような気がしてならない。 バンクという言葉で僕が想起する“公器”のイメージとはまるでそぐわない“プライベートバンク(PB)”というものは、しかし古くから欧州にあるもので決して最近になって始まったものではないらしい。「スイスなど欧州が発祥地で百年以上の歴史がある。日本でもノウハウの蓄積がある外資系金融機関が高いシェアを握っている。国内勢でも証券会社や信託銀行などが富裕層の取り込みにしのぎを削っている。メガバンクなども手数料収入につながると判断し、将来有望な分野とみて力を入れ始めた。」(第1章 P5)とのことだ。 かようなPBに関する本書の第1章の最初の話題が「危ないが魅力的」との小見出しによるシティバンクのプライベートバンカーから受けたとの「主要国の規制が及ばない租税回避地(タックスヘイブン)を利用し、デリバティブ(金融派生商品)を駆使してつくった仕組み債などへの投資を通じて海外に資産を移し、国際的に分散する提案」にまつわるものだったのは、何やら象徴的な気がした。「一九九〇年代、社会主義から市場原理経済に移行し始めたばかりのロシア株や東欧株に真っ先に投資した国際的な投資マネーの中には、プライベートバンクの資金が相当含まれていた。いま世界を揺るがすヘッジファンドにも多くの資金が流れている。中国、インド、アフリカなど新興市場の最先端の相場の動きには、常にプライベートバンクの影がある。巨額の富裕層マネーを安定的に預かっているからだ。」(第1章 P25)というようなものに、一握りの富裕層の金が集積されて全世界の人々がさまざまな投機マネーに振り回される国際経済の仕組みをなんとかしないといけないはずなのに、それを“「格差社会」に商機あり!”とはなんたることかと唖然とした。富裕層の関心の高い税金問題についてサービス展開をして顧客獲得に努めているのだそうだ(第2章 P34)が、そのようなPBを煽り立てるのは国家的背信行為のように思えてならなかった。 二年前に刊行された『税金を払わない巨大企業』において著者が強い問題意識をもって指摘していた租税回避問題は、大企業のみならず富裕層の個人を取り込む包囲網が金融資本主義によって張り巡らされることで起きてきたものであることを改めて痛感した。 本書の構成 第1章 富裕層をねらえ――始まった千五百兆円争奪戦(P 1~) 第2章 PB戦国時代――競争に境界無し(P29~) 第3章 新・富裕層誕生――団塊マネーを囲い込め(P55~) 第4章 競うマーケティング――顧客を掘り出す金融経営(P81~) 第5章 投信大競争――個人マネー争奪の主戦場(P109~) 第6章 資産防衛 最新トレンド――運用の最前線(P145~) 第7章 米英リテール攻防――日本の明日を読む(P171~) 第8章 リスクと向き合う――問われる説明力(P207~) | |||||
by ヤマ '16. 7.16. 日本経済新聞社 | |||||
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