『ゆずり葉の頃』
監督 中みね子


 本作の小河市子を演じて違和感を覚えさせないのは八千草薫を置いて他にはあるまいという作品だと思った。76歳にして初監督作品を世に出した岡本喜八監督夫人にとって、小河市子というのは、ある種の分身に他ならない気がしたが、さすれば、市子に託して“遣り残した”と記したものというのは、市子が胸の内に温めていた謙一郎(仲代達矢)への想いのようなものなのか、あるいは自身の脚本を監督作品として遺すことだったのか。僕には、前者のようなものがある気がしてならなかった。

 それにしても、ファンタジックなまでに美しい物語世界だった。確かにある種の余裕に恵まれている人々ばかりとも言えなくはないが、決して富に執心してはいない豊かな生を過ごしている人々の姿が何だか気持ち良い作品だったような気がする。

 緩やかな時間のなかで、絵画を愛で、自然に親しみ、音楽をたしなみ、丹精の込められた食事や珈琲を愉しむことが時折の日常としてあることやその時間を共有する人や新たな出会いを得たりすることのできる豊かさというものこそが、何にも優ることがしみじみ伝わってきた。市子の息子である進(風間トオル)の友人仲間の寸描や軽トラ青年の設えが効いていたように思う。

 市子の人生そのものは、むしろ苦難やままならなさに数多く見まわれたものであることが示されていただけに、それにもかかわらず豊かさを感じさせる人生に辿り着き得る“心映え”といったものの在り様に想いを馳せさせてくれる映画だったように思う。

 老境にあってこそ露わになる類の稚気なるものを巧みに演じていた仲代達矢のみならず、市子が自分に人としての“心映え”の土台になるものを教えてくれたと記憶していると思しき、謙一郎の母や仕立て職人を演じた竹下景子や本田博太郎、そして珈琲歌劇の店主やオーベルジュのオーナーシェフを演じていた岸部一徳や嶋田久作が印象に残る素敵な作品でもあった。道具立ても含め、その美しさに、スタッフ・キャストにとても恵まれた映画のように感じた。
by ヤマ

'15.12. 2. あたご劇場



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