『起終点駅 ターミナル』
監督 篠原哲雄


 旭川から東京へ向かう汽車の旅が、釧路での二十五年間の途中下車を経て遂行される物語だ。佐藤浩市の演じた鷲田完治が大学生だった昭和53年当時に自分も大学生だった年齢の近さもあって、いろいろ思い出すことの多い作品だった。東北大学では昭和53年当時でも三里塚闘争にたぎっていたりしたのだろうかとか、学生時分の突然の失踪から約十年ぶりに再会して焼け木杭に火がついた三十歳過ぎの単身赴任男とスナックのママとの逢瀬が月一度に留まるはずがなかろうなどと訝しく思われたように、冴子(尾野真千子)の死を含めたそもそもの物語展開にあまり現実感がないものの、掬い取られた情緒に普遍性が感じられ、触発されるものが結構あった。

 そして、山盛りの自家製イクラ漬けを白飯に盛って掻き込む佐藤浩市の涙目に、4,5歳の時に別れたきりで、幼時の顔しか知らないままになっている息子の顔を差し挟んだりしなかったことに、ひまわりと子犬の7日間のことを思い出して、ちょっと感心した。

 完治が被告人の大村(音尾琢真)に言うように、女性の潔さに対し男は何ともだらしなく過去を引き摺るわけで、自分が冴子を死に追いやったと感じている完治の罪悪感でも、十五年前に大下(中村獅童)が鷲田から受けたと思っている恩義でも、その点では同じように感じられた。要するに是非判断による理屈を伴ったものではないわけだ。それとともに、相手の重荷になりたくないと姿を消すことが、過去を引き摺りがちな男にとっていかに重く大きな負担を遺すかということに対して、潔さに長けた女性は想いが及ばないことを窺わせていたようにも思う。その点では、八年前に息子が就職した際に「十七年間、充分にしていただきました」との手紙を元妻の和子が寄越していたことにしても、そういった類の潔さのような気がした。そして、釧路の街を離れることにしたと伝えた敦子(本田翼)が完治から渡されたザンギのレシピメモに護符を戴いたかのように額に押し当て、彼の首に抱き付いて感謝と喜びを表しながらも、完治が冴子から貰った万年筆をいつまでも持ち続けているようには持ち続けたりしない気がしてならなかった。情の濃い薄いの問題ではないのだ。男よりも“いまを生きることに長けている”女性の特質のような気がした。別れて尚その今を保ち続けることができないからこそ、冴子は自死を選んだのだろうという思いが湧いた。

 だが、そういう男女観を女性作家が描き出すようには思えなくて、原作小説がどうなっているのか俄かに興味が湧いてきた。桜木紫乃の小説は一冊も読んだことがないのだが、原作は短編小説らしいので、本作の前述部分は、脚本を担った長谷川康夫の脚色によるところが大きいのではないかという気がしている。

 それにしても、三十歳過ぎで再会したときの冴子を演じた尾野真千子の美しさと佇まいには魅せられた。『探偵はBARにいる2』などで見せるキャラが素に近いイメージがあったので、けっこう意表を突かれた。それはともかく、冴子と敦子に共通していた、薬指だけに塗ったマニキュアの意味ありげなショットは、何だったのだろう。
by ヤマ

'15.11. 8. TOHOシネマズ2



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