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『ベイビーローズ』を読んで | |||||
黒沢美貴 著<幻冬舎 単行本> | |||||
十年前の2004年に発行された、主人公の女子高生が「なるほど。援交はもう古い、これからは“愛人契約”の時代、かあ」(P77 面接)などと含み笑いをする小説を読みながら、一年前に観た『紙の月』や先月観たばかりの『就職戦線異状なし』['91]の映画日誌に記した“バブル風俗”の残滓として次世代に与えているものを確認するような気分になった。 「四歳年上のセリのお姉さんは、それは優秀で、名門私大の医学部に現役合格したのだが、セリ曰く「そんなのは女の人生としては邪道」だそうだ。努力とかガリ勉というものを嫌悪しているセリは、「一生懸命頑張って自分が医者になるより、医者を摑まえて結婚したほうが断然ラク。それこそが女の花道」という考えで、高校二年ですでに「医師夫人」が将来の目標だ。 努力嫌いのセリだが、医師夫人になるためのちょっとした努力はしている。スタイルをよくするためにダンスを続け、美肌と健康な身体を保つためにサプリメントを飲み、月に二回は必ずエステに行く。そして安全なマシーンで肌を小麦色に焼く。日焼けした肌のほうが、若さとリッチ感をアピールできるからだ。セックスはしても、煙草は決して吸わない。喫煙は肌を痛めるからだ。セリ曰く「セックスは女性ホルモンが活性化され、身体にも肌にも、とてもよろしい」とのことで、セックスはいくらしてもいいらしい。お酒も、スタイルを保つために身体によいポリフェノールたっぷりの赤ワインを一、二杯たしなむ程度だ。 ……このように、セリは高校二年にして、「女磨き」に余念がない。」(P14~P15 放課後)というセリを親友に持つ宮内恵美の十六歳から十七歳にかけての物語だ。 「非行に走るコたちって、ただ単に「悪いことをしてみたい。堕落してみたい」という好奇心の衝動に突き動かされるだけなんじゃないか、と。親のことをどうこう言うのは、ただの体裁のよい言い訳で、本当は単に悪いことをしてみたかっただけなんだ。…性を売る女たちのほとんどは、ただの好奇心でしているのだ、きっと。…多くの女たちは、もっと気軽に悪いことを愉しんでいる。親に虐待されたからとか、学校でひどいイジメに遭ったとかそのような深い理由を誰しもが背負っているわけでは決してない。」(P32~P33 スウィート?ホーム)と考え、「もし先生にバレて怒られても、…「この普通すぎる日常を抜け出して、冒険してみたかった。大切に育ててもらった自分に、ちょっと傷をつけたかった。均整の取れたものより、少しぐらい歪なほうが味わい深く、美しく見えることがあるから」(P35)という感覚で、「母親みたいに、なりたくない。 私はもっとお金持ちになって、大きな家に住んで、高い車に乗って、シャネルの洋服を着て、犬をたくさん飼って、『ヴァンサンカン』に読者モデルとして登場するんだ。そして女のコが一番手っ取り早くお金持ちになるには、セリの理論でいけばリッチな男と結婚して玉の輿に乗ることだ。プールつきの豪邸に住む自分を想像して、恵美のムシャクシャする気持ちは徐々に収まってくる。」(P67 アンクレット)との思いから、「女のコが最も嫌う…やけにガツガツしていて、すぐにセックスしたがる、“飢え”を感じさせる男」と違って「なによりも、その「女にガッツいていない」ところに好感が持てる」(P72 面接)三十代半ばの歯科医で、「親に大切に育てられたと分かって安心した」(P87)、「…約束してほしいんだ…僕と一緒に大人の世界を垣間見るのはいいけれど、ご両親を心配させるようなことはしないって。僕は、君に、いわゆる不良になってほしくないんだ。学校にもちゃんと行ってほしいし、成績も落としてほしくない。」(P98~P99 初体験)などと言う有吉修一と「「週に一度、土曜日に必ず会って、月に二十万円。でも初回はそれとは別に二十万円を渡す」 初回が別額になるのは、もちろん“処女”代である」(P87 面接)という“愛人契約”を交わす。 そして、「楽しくて楽しくて、堪らなかった。なんだか、世界が自分中心に回っているような気がするほど、浮かれていた。小娘の私が、有吉さんのようなあんなに素敵な人に囲われる。愛人契約って、なんて甘美な悪徳なのだろう」(P92 面接)と舞い上がり、「有名ブランドの品物を持っているだけで、胸がときめき、自分までもが高級になったような感覚に陥る。恵美はシャネルのグロスで唇を輝かせ、ココ・マドモアゼルの香りを漂わせ、ディオールのバッグを持って、有吉さんと会うようになった。男からお金をもらうたび、洋服やブランド品が増えるたび、…甘美な優越の感情に浸った」(P122~P123 蜜月)りするなかで、「自信のある人間が持つ、一種のオーラのようなもの」(P126)を漂わせるようになるわけだ。 「性を売ってお金を得るという“娼婦の匂い”というものは、黙っていても出てしまうのではないかと。いくら隠しても隠しきれずに、こぼれ落ちてしまうのではないだろうか。恵美にもし“娼婦の匂い”が染みついてきているのなら、親が感じ取らないはずはない。でも、もし何かの匂いを娘に感じ取っても、パパもママも恵美を信じるだろう。親とはそういうものだ。」(P129 蜜月)と考えつつ、「貯まってゆくお札を数えながら、恵美は優越の笑みを浮かべる。なんてラクで楽しいアルバイトなのだろう。いろいろなところに連れて行ってもらえて、美味しいものを御馳走してもらって、セックスして、お金やプレゼントまでもらえるなんて。恵美は女に生まれたことを、本当に感謝した」(P131 夏休み)りするなかで「この少女娼婦たちは、欲望に実に忠実だ。ブランド品や洋服やアクセサリーや化粧品がほしくて、そのためにお金がほしくて、リッチな男性に性を売る。恵美もセリもセックスも好きでペニスが絶えずほしいから、一石二鳥だ。物欲、性欲だけでなく、もちろん食欲だって旺盛で、フランス料理もアメリカンキュイジーヌも、ケーキも大好き。でも美味しい食事には、お金がかかる。そして恵美たちは、愛人契約を結ぶことで、したたかにも物欲、性欲、食欲をすべて満たしてしまう。欲望と金銭の相関関係。男たちは欲望を満たすために、彼女たちに金銭を与える。彼女たちは金銭をもらって男の欲望を満たし、そして自分の欲望まで満たす。こうして恵美もセリも、男たちの上に誇らしげに君臨するのだ。」(P143 夏休み)、「身体が充分女になり、心までマセてしまったのだろうか。恵美は最近、こう考える。学校の勉強ができる頭の良さと、社会を渡ってゆける頭の良さというのは、必ずしも一致しないと。それどころか、その二つはまったく別物なのではないだろうか。特に女性は。…大人の世界というのは、理不尽に違いない。だって自分とセリのような小娘が、甘やかされて生きられるのだから。その陰には、理不尽な社会に泣かされている、生真面目な大人の女たちがいるはずだ。懸命に勉強していい大学に入り、真面目に生きてきたゆえに、社会に出てその理不尽さと不公平さに打ちのめされる三十代・四十代の女性のことを想像すると、恵美は虚無を感じる。社会というのはきっと、正義なんかでは成り立っていない。たくさんの悪が鏤められ、欲望が渦巻いている。大人の世界では、潔癖な人間よりは、薄汚れている人間のほうが生きやすいのだ、きっと。 それならば、つまらない女の人生を送るぐらいなら、セリと一緒に今みたいな愛人生活を続けるほうがずっといい。きっと長くはできないだろうから、若いうちにさんざん稼いで、お金を貯めてしまおう。そして引退したらハワイに家でも買って、悠々と暮らすのもいいだろう。ハワイは物価も安いし、隠居生活を楽しむには最適だ。」(P149~P150 海)となっていく。 その過程に、それこそ翳りのようなものが全くなく、ある種の爽快感が宿っているように感じられるところに感心した。 そんな恵美を有吉修一の三十三歳の妻 美奈子が呼び出して嫌味のつもりで「今のコってたいへんなのねー。遊ぶお金がなくて、十七歳にして愛人なんかしなくちゃならないなんて! 私なんてバブル世代で家も金持ちだったから、あなたみたいなマネをしなくて済んだわ。『お嬢様』なんて言われて、何不自由なく育ったの。高校生のときだって、親にねだれば、ほとんど何でも手に入ったわ。ホント、親には感謝してる。ね、あなたとは元より住んでる世界が違うでしょう? あ、私、スチュワーデスだったのよ、国際線の。修一には知り合ってすぐにプロポーズされたわ。ホテルオークラで式を挙げて、トゥールダルジャンで披露宴をしたの。結婚二年目で子供が生まれて、息子は今、四つ。夫は歯科医で、院長で、港区在住。ね、私の人生って、すごい勝ち組でしょ? そう思わない? 非の打ちどころがないわ」(P212 妻と愛人)と言い放ち、恵美から「ええ……。すごいですね」とすんなり肯定されることで“彼女の自信の裏に見え隠れする卑屈さ”を露呈させる愚を犯していたが、その美奈子の弁には直接的に“バブル”と“勝ち組”という言葉が現れており、『紙の月』を観たときの映画日誌に綴った「バブル崩壊前にメディアが喧伝したバブル風俗があからさまに影響しているさま」そのものが窺えるように感じた。 そして、「恵美は処女を失ってから、暫くの間、親と顔を合わせるのがバツが悪かったのだ。そしてそのバツの悪さは、セックスの回数が増えるにつれ、肥大していった。 でも、不思議なことに、今夜の恵美は、処女だった頃と同様に笑顔と態度で、親に接することができた。ごく自然に、娘として振舞うことができた。それとも、娘を「演じる」ことができるようになったのであろうか。陰でいかに淫らなことをしても、親の前で平然とできるようになったら、女として成長した証拠なのだ。 恵美はさっきまで「愛人契約を結んでいる男の奥さんと会う」などという修羅場に臨んでいたようには、とても見えない。光太郎と景子の前では、あどけない十七歳の娘だった」(P216~P217 妻と愛人)となっていたわけだが、そんな美奈子を目の当たりにしたことで「愛人契約のアルバイトを始める前、恵美は普通の家庭である自分の家を卑下した。もっとお金持ちの家に生まれればよかったと思った。パパのような普通のサラリーマンではなく、お金持ちと結婚するんだと思った。ママのような平凡な人生はごめんだと思った。……でも、お金持ちでも、必ずしも幸せとは限らないようだ。冷め切った、見せかけの夫婦だっているんだ。有吉さんと、美奈子さんのように。幸せって、いったいなんだろう。」(P218 秋の気配)と心を痛めるようになり、彼女を愛人契約に引き込んだセリが「ずっと……お金で得したと思ってたのに……お金で片付けられちゃった。新しい……命まで……」(P222)と慟哭する事態に立ち会うことで「そして恵美もまた、自分と対面しなければいけない時期が、近づいているのだ」(P226)と自覚するようになる。 その結果、「家庭という基盤があっての“愛人ごっこ”だからこそ、恵美との関係は甘美だったのだ。非日常の世界だったからこそ、互いに夢を見られたのだ」(P232 別れ)と、自分から有吉に別れを告げ、セリが再び愛人稼業に復帰するのを尻目に「恵美は学生鞄の中から、ゴールドのアンクレットを取り出した。愛人契約の仕事を始める前、セリに109で買ってもらったものだ。恵美はそれを、夕日に向かって、投げた。アンクレットは金色に煌めきながら、歩道橋の下に落ちていった。恵美は投げ捨てた。自分を縛っていた、千五百円の鎖を。恵美はさっぱりした顔で、夕日に向かって微笑んだ。 私は、花ならば、まだ蕾だ。それならば、水を撒き、陽を浴びて、自分を栽培しよう。いつか、美しく咲き誇れるように――。」(P246 美しい未来)となっていた。 ところが、その後、それまでの頁とはまるで異なり、行間をふんだんに設けた8頁が続き、夕焼けから、ネオンライトの灯る渋谷の街になるや、香水“プワゾン”の香りに誘われるようにふと思いついたフランス留学のために「フランス帰りなんて、ちょっとカッコいいでしょ」との乗りで、留学費用の一千万円をあと二年ほどで貯めるんだと「有吉さんぐらいの男を、二、三人掛け持ちすればいいのよね。もしくは、もっとリッチな男性を見つけるか……。 できるわ、私なら。」(P251 美しい未来)とセリに電話をかけ、「そうだ。今度男たちに会いにゆくときは、ダイヤモンドのアンクレットを足首に煌めかせなくちゃ。」(P254)との末文で終える作品になっていた。 それまで一度も使われてなかった「☆」印を行間に置いて添えられた8頁は作者が元々考えていたエンディングではなかったような気がしてならなかった。“特異な体験を経て成長した恵美の改心”というエンディングに編集サイドからクレームがついて、改稿するのが嫌で、取って付けたような反転を添えることで、くるくる変わるセヴンティーンの女子高生心を装って、編集サイドと折り合いをつけたのではなかろうか。 | |||||
by ヤマ '15.11.13. 幻冬舎 単行本 | |||||
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