『イン・ザ・ヒーロー』
監督 武正晴


 本郷猛ならぬ本城渉(唐沢寿明)にJACを創設した千葉真一やら還暦近くになってもアクション映画に挑み続けるジャッキー・チェンを想い、一文字隼人だか村雨良だかの一ノ瀬リョウ(福士蒼汰)が密かに英語の習得に努力していた姿に、いまハリウッドでも活躍しているJAC出身の真田広之を想いながら、観ていて大いに感じ入るものがあった。

 昭和の『蒲田行進曲』['82]を思わせるような話だったけれども、五十路にある僕には、平成の『イン・ザ・ヒーロー』のほうで味わうベタな昭和色が妙に嬉しく、好きだ。本城渉を演じた唐沢寿明は、若かりし頃、仮面ライダーシリーズでスーツアクターをしていたらしいのだが、エンドロールで映し出されていた'87年当時の写真などは、彼自身が提供したものなのだろうか。

 ブルース・リーに憧れ、アクション映画の世界で華咲く日を夢み、業界内では一目も二目も置かれながらも陽の当たる場には出られないまま、年齢も身体も限界に近付きつつあるアクション馬鹿一代の生き方を貫いている元夫に憤りながら気遣い続けていた凛子(和久井映見)に味があった。働くことで稼ぐことはできても、儲けるのは金を出すことでしかできない仕組みの世の中にあって、働くことよりも儲けることに頭を使おうとしない者を馬鹿呼ばわりする富裕紳士の西尾(及川光博)に、きっぱりと「それなら、私は馬鹿のほうがいいです」と席を立っていく姿が美しかった。

 誰かのために働くことや仕事そのものではなく、西尾のように投資効率を坪単価で勘定したり、株価の上下にばかり囚われている姿を美しくないと思うより、むしろかっこいいと思う世代が確実に増えてきていればこその“ベタな昭和色”なのだが、本城渉が体現していたような馬鹿な生き方には、脚本にも参画しているエグゼクティブプロデューサーの李鳳宇の想いが間違いなく籠っているように感じた。本作が『月はどっちに出ている』['93]の再現となり、シネカノンが蘇ることを願わずにいられなかった。

 そのこととともに僕の心に響いてきたのは、夢に向かって生きていることや諦めずに夢を叶えた姿にあるのではなく、その過程において、不遇にあっても矜持を忘れずに弛まず生きている姿のほうだった。自分を誤魔化すための口実などいくらでもあるし、世知に辛くなれば、清濁併せ呑む器が要るのだなどと言って自らを進んで穢していくほうが易きことになっている人々が少なからずいるなかで、初心を忘れることのできない人々も確実にいるのが人間社会だと改めて思う。

 これは本当は、利口とか馬鹿といった賢愚よりは生き方の美意識にかかる問題だ。そのことが、実に判りやすく画面から自ずと立ち昇ってきていたところに大いに感銘を受けたのは、名も地位もある人々が昨今あまりに美しくない言動を垂れ流しているからかもしれない。





推薦テクスト:「映画通信」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1932099565&owner_id=1095496
推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-514c.html
by ヤマ

'14. 9.14. TOHOシネマズ5



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